リチャード・ボニングのバレエ音楽「レ・シルフィード」を聴いて思ふ

fete_du_ballet_bonynge20世紀初頭のパリは、高踏遊民からすると憧れの土地だったよう。そこにはあらゆる芸術家が集まり、常に革新が在った。
永井荷風の「ふらんす物語」をひもとく。1907年から1908年にかけて10ヶ月ほどの本人のフランス滞在記。荷風の目に映った当時のあの国の情景が具に描かれる。

フランスに来て初めて自分はフランスの風土気候の如何に感覚的であるかを知った。
夏の明るさ、華やかさに引変えて、

秋が如何に悲しく如何に淋しいか。

そしてその悲しさ淋しさは心の底深く感ずると云うよりは、寧ろ生きている肉の上にしみじみと譬えば手で触って見ることが出来るような気がするのである。フランスの詩や音楽がドイツのものとは根本的に相違するのも乃ち此処であろう。ミュッセを産んだフランスにゲーテは現れず、ベルリオを産んだフランスにワグネルは出ない。
永井荷風著「ふらんす物語」(新潮文庫)P38

堅牢でない浮遊感、決してロジカルでないシステムがフランスという国を覆っていたのだと思う。

最後の日は一日一日と迫って来た。明日の朝にはどうしてもこの巴里を去らねばならぬ。永遠に巴里と別れねばならぬのである。自分は既にこの春花咲く前に日本へ帰らなければならなかった。
~同上書P212

自分は寐台の上から仰向きに天井を眺めて、自分は何故一生涯巴里に居られないのであろう。何故仏蘭西に生まれなかったのであろうと、自分の運命を憤るよりははかなく思うのであった。自分には巴里で死んだハイネやツルゲネフやショーパンなどの身の上が不幸であったとはどうしても思えない。とにかくあの人達は駐まろうと思った芸術の首都に生涯滞在し得た芸術家ではないか。
~同上書P213

荷風は心底パリに惚れていたようだ。この人は当時のディアギレフ率いるバレエ団の公演を観たのだろうか?バレエ・リュス結成の前の向こう見ずで挑戦的な舞踊をもしも観ていたら彼は果たして帰国できなかったのかもしれない。

1909年のディアギレフ。この年、グリゴリエフは舞台監督として雇われた。

休憩のあとはフォーキンの「レ・シルフィード」。いまやよく知られているこのロマンティック・バレエは、当然のことながら物語はない。しかし踊り手は巧みに編み込まれ、一曲一曲が、もともと連続していると感じさせるような一体感があった。女性舞踊手の衣装はタリオーニ風で、ニジンスキーがただ一人の男性舞踊手。女性の主役はパヴロワ、カルサーヴィナ、バルディナ。アンナ・パヴロワは、いままでの彼女の踊りのなかでこれがいちばん良かった。パヴロワはロマンティック・バレエらしく軽やかで、宙に浮かび、空気の精そのもの。
~セルゲイ・グリゴリエフ著/薄井憲二監訳/森瑠依子ほか訳「ディアギレフ・バレエ年代記1909-1929」(平凡社)P28

ボニングの「バレエの祭典」ボックスからの1枚。バレエは舞台を観ないと決して理解できないという定説を覆すような優雅で美しい演奏。

ロッシーニ(ブリテン編曲):
・ソワレ・ミュージカル(1981.3録音)
・マチネー・ミュージカル(1981.3録音)
ショパン(ダグラス編曲):
・バレエ音楽「レ・シルフィード」(1982.4録音)
ヨハン・シュトラウスⅡ世(デゾルミエール編曲):
・バレエ音楽「美しきドナウ」(1974.4録音)
リチャード・ボニング指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団

ボニングのバレエ音楽は実に正統派。そして極めて感覚的。荷風が聴いたであろう当時の演奏が、果たしてこれほどに確固としたものだったのかそれはわからないけれど、ともかく「レ・シルフィード」は美しい。

 

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