シャハム、ワン、メイエ&ミュンフンのメシアン「世の終わりのための四重奏曲」を聴いて思ふ

messiaen_quatuor_pour_la_fin_du_temps_shaham_meyer_wang_chung175チャールズ・アイヴズは、ピアノの傑作「コンコード」ソナタの手引き書「ソナタの前のエッセイ」で次のように書いているそう。

おそらくまだ音楽は書かれてもいないし、聞かれてもいない。おそらく芸術が誕生するのは、芸術で生計を立てることを望む最後の人間がいなくなったとき、永遠にいなくなったときだろう。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽」(みすず書房)P138

いわゆる音楽芸術と資本主義は相容れないことをちょうど100年前にアイヴズは訴えかけていたことになる。この言葉の意味は重い。お金儲けでなく、人々の精神の渇きを純粋に満たすために生み出された音楽は本当に美しい。

第2次世界大戦の頃のナチス・ドイツに関するバイロイトの状況は実に興味深い。1940年は、いまだドイツが飛ぶ鳥を落とす勢いで全ヨーロッパを支配下に入れようと周辺諸国への侵攻を繰り返していた時期。

音楽祭はこうしてヒトラーと党に完全に依存することになった。しかし歓喜力行団による問題の解決は、ヴィニフレートにとって大きな利点があった。苦労して切符を売り、広告を打ち報道機関に働きかける必要がなくなったからだ。歓喜力行団は殺到する観客への切符の分配から旅行、宿泊、食事、自由時間のプログラムなど、全ての運営を請け負った。さらにワーグナー家は比較的楽な労働に対し、確実な収入を得ることができた。ヴィニフレートは利ざやとして、経費の5パーセントをコストに上乗せしたが、この金額は年間3万から5万マルクであり、ティーティエンやマックス・ローレンツのようなスター歌手の収入におおよそ匹敵するものだった。
ブリギッテ・ハーマン著/鶴見真理訳/吉田真監訳「ヒトラーとバイロイト音楽祭―ヴィニフレート・ワーグナーの生涯(下・戦中戦後編)」P71

巨匠没後の音楽祭運営のため、そもそもワーグナーが晩年に至った「再生論」とは正反対の方向に行かざるを得なかったという皮肉。ドイツが第1次大戦で敗戦したことも大きかったが、やはりその後のヒトラー率いるナチス・ドイツのプロパガンダとして使われたことがワーグナー芸術の宿命だったということ。ひょっとするとアイヴズが嘆く最も芸術に遠い音楽芸術がバイロイト音楽祭におけるワーグナーということになるのだろうか。

しかしながら、人間誰とて生きるためには背に腹を変えられないということがあるというのも事実。
ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」をひもとく。

収容所の芸術活動がグロテスクこのうえなかったことは言うまでもない。芸術についてまわるこの特異性は、芸術とその背景にある惨めな収容所生活が、この世のものとも思えないコントラストをなしていたからだ。
生涯忘れられないことがある。アウシュヴィッツに到着して2日目の夜、くたびれはてて泥のように眠っていたわたしは、音楽に目を覚ました。居住棟の班長が、棟の入り口を入ったところにある居室で、なにやら酒盛りをしているらしい。酔いの回った声で流行歌をがなりたてていた。ふいにしんとしたと思うと、ヴァイオリンが限りなく悲しい、めったに弾かれないタンゴを奏ではじめた・・・ヴァイオリンは泣いていた。わたしのなかでも、なにかが泣いていた。この日、24歳の誕生日を迎えた人がいたからだ。その人はアウシュヴィッツ収容所のいずれかの棟にいた。つまり、ここから数百メートル、あるいは数千メートル離れたところ、わたしの手の届かないところに。その人とは、わたしの妻だった。
ヴィクトール・E・フランクル著/池田香代子訳「夜と霧新版」(みすず書房)P70

あまりに悲しい。その時の情景や心情と結びついた時、音楽はどんなものでも「芸術」となる。決してお金儲けのための音楽でなく、人間のいろいろな感情を揺さぶる音楽として。

メシアン:世の終わりのための四重奏曲
ギル・シャハム(ヴァイオリン)
ジャン・ワン(チェロ)
ポール・メイエ(クラリネット)
チョン・ミュンフン(ピアノ)(1999.6録音)

オリヴィエ・メシアンが1940年、ゲルリッツの収容所での捕虜生活を送っていた時に書いた「世の終わりのための四重奏曲」(初演は1941年1月15日)。チェロとピアノによる第5楽章「イエスの永遠性への賛歌」は、自分たちが必ずや神の力によって救われるのだという信仰の表現であり、そのあまりの美しさに胸が詰まる。ジャン・ワンのチェロはもとより、チョン・ミュンフンの深々とした音色のピアノ伴奏にこの人の音楽家としての力量を再発見する。
また、クラリネット独奏による第3楽章「鳥たちの深淵」の、木管楽器によるミクロコスモスに感無量。ここでのメイエのクラリネットは実に縦横無尽。そして、トリオによる第4楽章「間奏曲」の哀しげな愉悦に涙を禁じ得ない。フランクルがその夜聴いた音楽はこんな音調だったのかも。

さらには、ヴァイオリンとピアノによる第8楽章「イエスの不滅性への賛歌」における、そこにいたすべての人々が生き長らえることを信じた永遠の祈り。もはや言葉にならない。静かなる水面(すなわちピアノ)に全宇宙が祝福のための静謐なる鳴動を起こすかのようなギル・シャハムのヴァイオリン!素晴らしい!!

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください