素直に自分を伝えること

tchaikovsky_maisky_sinopoli.jpg自分の気持ちや思いの丈をストレートに表現できないことは辛いことである。家庭の事情や幼少の経験から「伝えること」を禁じられていたり、あるいは体得していなかったり、または無条件に受け容れられるという体感が足りない時、人は自らに閉じこもり、発散することなく、あらゆる感情を鬱積させてしまう。「病は気から」というが、精神的に不安定になったり、身体が弱く病気がちな人の共通した特長といえば、子どもの頃のストローク不足という点が指摘できるように僕には感じられる。そして、自身の心を素直に表現できないため、ないしは相手の心を感じとり、信じて受け容れることができないため、結果「孤独」に陥ってしまう。
「群衆の中の孤独」という言葉通り、現代は物理的に「孤独」なだけでなく、他者とどんなに交わっても精神的に「孤独」を感じる人がとても多いそうだ。家族の基本的なあり方-核家族化された家族のあり方の弊害と言えば弊害か・・・。「他者と直接に出会う」という勇気をもって行動を起こせば、長年凝り固まっていた「概念」が容易に融解し、きっとあっという間に楽になることだろう。ともかく他者を信じ、そして何よりも自分自身を信じ、当たってみることだ。「当たって砕けろ」というが、決して砕けることはない。

人は孤独に弱い。ロス疑惑の三浦和義元社長が自殺したというニュースを聞き、そんなことをふと考えた(果たして本当に自殺なのか?そのあたりは甚だ疑問だが)。

チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲作品33
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団

今月の講座のテーマである「ゴルトベルク変奏曲」に因み、極めつけの美しい変奏曲を久しぶりに取り出した。19世紀末ロシアの生んだ天才ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが残したチェロと管弦楽のための音楽。この楽曲が作曲された当時、すなわち1876年から77年頃のチャイコフスキーには二人の女性の影が明滅する。一人は、パトロンになったものの結局生涯会うことのなかったフォン・メック夫人。その夫人との文通が始まろうとしていた時期がちょうどその頃。そして、もう一人は、短い期間ではあったものの妻となったアントニーナ・ミリューコヴァ。アントニーナの一方的な片想いに始まり、強引な押しにより結婚をしたもののたったの20日ほどでピョートルが逃げ出すという形で幕を下ろしている。
チャイコフスキーがフォン・メック夫人と会わなかった理由は「自己不信」によるものという説がある。そして、アントニーナに押し切られたのも、結局自分の本当の気持ちを伝えられなかったからだろう。

時を同じくして生み出された、この「ロココ変奏曲」も曰くつきの楽曲。モスクワ音楽院の同僚であったヴィルヘルム・フィッツェンハーゲン(彼はチェリストでもあった)のために作曲されたもので、初演は当然彼の手で行われたのだが、この時どういうわけかフィッツェンハーゲンは勝手に曲を大幅に改作して演奏しているのである(第8変奏をカットし、変奏曲の順番を入れ替えている)。結果的に楽譜もこのフィッツェンハーゲン版で出版されたのだが、作曲者自身はこの横暴に納得できなかったものの、その旨を最後まで言えなかったらしい。マイスキーも一般的な慣習通りフィッツェンハーゲン版によっているが、まさに今作曲者により生み出されたかのような新鮮さと温かさで音楽が創造される。初演や出版の経緯を知らなければ充分満足できる演奏なのだが、作曲者の真意を伝えた原典版もいつの日か聴いてみたいと思う(音盤はリリースされているのだろうか?)。

人に対して素直に心を開けなかったチャイコフスキーは、音楽を通して自身の「内なる声」を吐露しているかのようだ。

ちなみに、このCDの初期盤にはエルガーのチェロ協奏曲が収録されている。エルガーといえばデュ・プレに止めを差すが、このマイスキー&シノーポリ盤も随分健闘してはいる(以前のブログでは大人と子どもほども違うと書いた)ものの、残念ながらデュ・プレのもつ哀しみの半分も表現できていないように思う。あまりに楽天的過ぎるのだ。

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