プラッソンのマニャール交響曲第4番&「葬送の歌」を聴いて思ふ

magnard_4_plasson077まさか新たな戦争に向けて密かに事が進んでいるのだとは思いたくもないが、どうにも不穏な空気の漂う昨今。もはや戦ってはいけない。仮に戦うなら自己との「闘い」だけにしなければ・・・。
幸か不幸か、この歳になるまでアルベリク・マニャールを知らなかった。実に浪漫的で、しかも単なる過去の遺物的な悲哀ではない「懐かしさ」と「哀愁」の宝庫。彼の最期を知って思わず涙した。

第一次大戦中の、どうにもならならない切羽詰った状況だったとはいえ、仕方がなかったでは済まされない音楽界の大損失かも。おそらく作曲中、その真っ只中のことだったのだろう。ドイツ兵の住居侵入に対抗すべく銃を発砲したことが運の尽き。目には目をではないが、殺したゆえ殺された。それも火を放たれた上での焼死とは悲惨極まりない。

なるほど、マニャールの作品中に感じられる、優美さの内に垣間見る暗澹たる厳格さというのは、怒りに満ちる(と同時に生真面目な)彼の気性の発露だったのかも。裕福な家庭に生まれ育ったものの、であるがゆえの喪失感や不信があっただろうことは間違いない。

マニャール:
・交響曲第4番嬰ハ短調作品21
・葬送の歌作品9
ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・キャピトール国立管弦楽団(1983.6.21-25録音)

第3楽章サン・ラントゥール・エ・ニュアンセにおける、慟哭の深い祈りは聴く者をその場でひれ伏させるほど。中間部の快活さと解放感にマニャールのベートーヴェン的「苦悩から勝利へ」というモチーフの創造を思う。嗚呼、美しき哉。
そして、終楽章アニメの、堅牢な、いかにもドイツ的な響きに、この人がドイツ兵に殺されなければならなかったという運命の残酷さを思わずにいられない。

白眉は「葬送の歌」作品9。ほとんど自身の弔いのための歌のようにしか聴こえないが、こんなに透明でしかも旋律的な音楽にはなかなか出逢えまい(微かに聴こえるハープ伴奏の音色、響きが堪らない)。果たしてプラッソンの指揮が正統なのか異端なのか、テンポといい解釈といい単独で見れば素晴らしいとは思えるものの、何分比較対象を持たない僕には何らの判断もできない。

アルベリク・マニャールはまさかあの時点で(1914年9月3日)自分の命が終わりになるとは思ってもみなかった。しかし、魂はわかっていたのか、どの作品もあまりに内省的な音調に満ちる。もっと彼のことを、そして作品を知りたくなった。
マニャール生誕150年の年に。

 

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