1963年12月のドヴォルザーク

dvorak_serenade_isserstedt.jpg弦楽合奏がことのほか好きだということは以前も書いた。先日、久しぶりに新宿のタワーレコードに寄ったら、シュミット=イッセルシュテットによる懐かしいドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」がヴィンテージ・コレクションとして陳列されているのを見つけた。何よりも当時のそのままのジャケットを下手にいじらずそのまま復刻している点が好ましい。それにしてもあの頃のDGのデザインは一律的なのだがひとつひとつに相応の味があって僕は好き。

ドヴォルザークのこの曲は、才能豊かな作曲者が表舞台に出る前の(といっても33歳になっているのだが)、それこそ短期間に若々しい傑作をいくつも生産していたイケイケの時の作品で、有名なチャイコフスキーのそれよりも前の作品だから、決してそれから影響を受けたのではないことを考えると、ドヴォルザークの「天才」に真に舌を巻く。とにかく旋律がきれい。そして、ある時は喜びに満ち溢れ、あるときは悲しみの慟哭になる、その音楽を通しての感情コントロールが抜群に上手いことがともかく素晴らしい。

職人シュミット=イッセルシュテットのいぶし銀の棒がそれに輪をかける。どこまでも渋く、何度繰り返しても嫌味にならず、「新たな」音楽を発露する。よくよくみると、録音されたのは1963年12月のこと。僕が生まれる3ヶ月前。実はその頃僕の祖母が亡くなっており、当然会ったこともないその人を思い出す術は皆無なのだが、遺影では何度も見ているし、話は子どもの頃から散々聞かされているので、こういう歴史聴きをすると妙に懐かしくなる。何せ0歳当時の記憶を温存しているのである。母親のお腹の中にいたときのことをはっきりと意識していても不思議ではなかろう(実際にはそんな記憶はかけらもないが・・・笑)。

ドヴォルザーク:
・弦楽セレナーデホ長調作品22
・管楽セレナーデニ短調作品44
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団

イッセルシュテットの生年は1900年である。僕の祖父と同い年ということになる。このあたりも勝手にこの指揮者に妙なシンパシーを感じる一因になっているかもしれない。しかしそれはちょっと飛躍し過ぎた理由だろうから、真の理由としてベートーヴェンの交響曲全集のような通でも入門者でも安心して身を任せられる大演奏がある一方で、以前採り上げたライブでのブラームス交響曲全集のような、異様なテンションで聴く者に鬼気迫る怪演などもあるという二重性に一番魅かれるのだということにしておく。

このドヴォルザークの2曲のセレナーデを収録した音盤は、万人に大手を振ってお薦めできる隠れた名盤。

管楽器が苦手な僕は、ドヴォルザークの管楽セレナーデを正面から真面目に聴いたのは初めてじゃなかろうか・・・。いや、良い曲です、これも。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ドヴォルザークの弦楽と管楽の各セレナーデ、どちらもいい曲ですよね。
近年私は、クーベリック指揮バイエルン放送響によるライヴ録音CDで楽しむことが多いです。これも名演なので、機会があれば聴いてみてください。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1968079
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1968084
イッセルシュテット盤は未聴ですが、岡本さんの文章を読み、これはぜひ聴いてみたいと思いました。おっしゃるように、ジャケットの絵も味わい深いですね。
過去の懐かしい思い出に、ドヴォルザークの曲はよく似合いますね。私達の子供のころにあって今はすっかり少なくなった、よく遊んだ里山のことなども、こういう曲を聴くと思い出したりしますね。一緒に遊んだ友達のことなども・・・。
あまりにも共感度が高いと口数が少なくなる時があります。今回がまさにそうでした。ありがとうございました。
思い出を、一生大切にしたいですね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
ご紹介のクーベリック盤は未聴です。ぜひとも聴いてみたいです。
>過去の懐かしい思い出に、ドヴォルザークの曲はよく似合いますね。
>思い出を、一生大切にしたいですね
同感です。

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