おそらく「虚実」の入り混じる「ショスタコーヴィチの証言」(ヴォルコフ編)だが、これほど読み物として面白いものはない。ショスタコーヴィチ本人の口から出たものか否か、あるいは思想そのものか否か、そんなことはもはやどうでも良くなる。この人の音楽作品を聴いていて、なるほど「証言」に言及されていることそのものだと膝を打つことが実際に多いのだから。
第2次大戦後期、ソビエトが勝利の坂道を駆け上がろうとしていた時期に生み出された作品とは思えない暗澹たる雰囲気と、あまりにアイロニカルな音調ひしめく音楽ゆえショスタコーヴィチの8番目の交響曲は当時から賛否両論だったそうだが、純粋な絶対音楽としてとらえるならこれほど深く、哲学的な作品はないように思う。そこに哀しみを感じるのか、悦びを見るのか、または怒りを思うのか、あくまでそれは聴く者の感情にひもづけされるものゆえ、作曲者の意図にはないことであり、無縁のこと。
第7番と第8番の交響曲については、まったくばかげたことをわたしは耳にしている。それらの愚かな意見がどれほど長いあいだ生きつづけていることか、あきれるばかりだ。ときどき、人間はこんなにも考えることに怠惰なのかと驚かされることがある。この2つの交響曲の初演の直後に、これらの作品について書かれたすべての意見が、そののち考える時間もあったはずなのに、なんの変更もなしに今日までくり返されている。それでもやはり、戦争はずっと以前に、ほぼ30年前に終わっていたのだ。
30年前なら、この2つが戦争交響曲と言われても仕方がなかった。しかし、いやしくも交響曲と呼ばれる価値のあるものなら、指令によって書かれることはめったにないのである。
~ソロモン・ヴォルコフ編/水野忠夫訳「ショスタコーヴィチの証言」(中公文庫)P274
作品を生み出すのに客観的事実など必要ないのだと。事象を超え、直観と主観によって生み出された芸術作品というのはたぶん時空を超えるのだ。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調作品65
ワレリー・ゲルギエフ指揮キーロフ劇場管弦楽団(1994.9録音)
第1楽章アダージョの、静かで幽玄な音楽のクライマックスの直後に現れるアレグロ・ノン・トロッポの愉悦的な楽想こそショスタコーヴィチの本懐であろう。ここでのゲルギエフの確信に満ちた棒は聴く者をひれ伏させるほどの説得力を持つ。そして、その後のアレグロにおける猪突猛進は、勝利の雄叫びだ。また、後半部に回帰するアダージョの、イングリッシュ・ホルンの調べは官能の発露。それも、抑圧されたエロスなのである。さすがはゲルギエフ!
第2楽章アレグレットの主部が再現する際のシンバルや打楽器の強烈なエネルギーに卒倒。
第3楽章アレグロ・ノン・トロッポの阿鼻叫喚は、ムラヴィンスキーに引けを取らない。いや、というよりムラヴィンスキーに比して狂乱度合いは低いものの、緩やかなカーブを描きながらクライマックスに通じてゆくその自然さが人間業を超えた「宇宙の鳴動」のように聴こえてならない。ここにはゲルギエフの魂の声が響く。
アタッカで続く第4楽章ラルゴは、ショスタコーヴィチが盟友たち、そして先の戦争の犠牲者一人一人に贈る葬送曲だろう。この深い祈りに溢れた変奏曲は、聴く者の魂を鎮めてくれる。
わたしの交響曲の大多数は墓碑である。わが国では、あまりにも多くの人々がいずことも知れぬ場所で死に、誰ひとり、その縁者ですら、彼らがどこに埋められたかを知らない。わたしの多くの友人の場合もそうである。メイエルホリドやトゥハチェフスキイの墓碑をどこに建てればよいのか。彼らの墓碑を建てられるのは音楽だけである。犠牲者の一人一人のために作品を書きたいと思うのだが、それは不可能なので、それゆえ、わたしは自分の音楽を彼ら全員に捧げるのである。
~同上書P275-276
終楽章冒頭の、自然と戯れるようなクラリネットの旋律に笑みがこぼれる。何という優しい、何という偉大な音楽であろうか。そして、森の木々が鳴き、天からは水が滴る。時に喧騒に導かれるものの静まり返る音楽は、ベートーヴェンの「田園」交響曲の祈りの牧歌に「人間味」を加えたショスタコーヴィチの真骨頂。まさに「墓碑」である。
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昨年10月、ゲルギエフとマリインスキー劇場で聴いてきました。ムラヴィンスキーとも聴き比べてみました。その上、ショスタコーヴィチの子どもたちの回想録も買って、読んでみました。
ただ、ヴォルコフのものは、今では贋物という評価が出ていますね。また、ソレルチンスキーのものは若林健吉訳で出たものの、これは大変な誤訳だらけで、日本音楽舞踊会議の機関誌「音楽の世界」で批判が出たことから、若林健吉氏が反論めいたものを出したことで、また厳しく糾弾された「若林事件」がありました。ソレルチンスキーのものは、誰か、正しい、キチンとした訳で出してくれないでしょうか。
>畑山千恵子様
「証言」については、真偽のほどは横に置くとして、実に面白い物語であると僕は思います。
ゲルギエフの昨年の実演は聴きませんでしたが、2010年のデュトワ&N響のサントリーでの演奏が素晴らしかったです。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=2764