オーケストラ・ダスビダーニャ第22回定期演奏会

dasbi_20150208106交響曲第8番はショスタコーヴィチの傑作中の傑作だ。オーケストラ・ダスビダーニャはやっぱりすごい。もはや月並みな言い方しかできないけれど、ショスタコーヴィチに対する真摯な愛に溢れ、出て来る音楽の一音一音に釘付けになる。一音たりとも聴き漏らすまいと真剣になるあまり、自分が今いったいどこにいるのかわからなくなる瞬間すら時折あった。各奏者が懸命にショスタコーヴィチの譜面を追い、内なる彼の想いを表現し切ろうとする様に思わず熱いものが込み上げた。
もちろん細かい瑕はある。しかしながら、強音のほとんど無防備な絶対的轟きと弱音のあまりに優しい微かな響きとの全体バランスを考えるとこれほどに優れた解釈はないと言い切っても良いだろう。ここに在るのは作曲者への畏怖の愛だ。

何と言っても後半の交響曲第8番の、ベートーヴェンの「田園」交響曲にも通じる後半3つの楽章に感銘を受けた。しかし、それには長大な第1楽章の布石があった。弦楽器による明確な主題提示に卒倒。この曲は確かに当時のソ連当局が期待した戦争の勝利を喜ぶ凱旋の曲ではなかったが、少なくともここには作曲者の中では戦争中の沈みゆく祖国への不安から末期には形勢が反転するというその勇気や希望が芽生えていたことを垣間見る。例えば、クライマックスの大音響の直後、高弦のトレモロを伴奏に歌われるイングリッシュ・ホルンのモノローグの清澄さこそその証(ここでの奏者の演奏にも僕は心が震えた)。
第2楽章アレグレットは、いかにもショスタコーヴィチらしい皮肉に満ちた音楽だ。よって、ここには表面上の勢いとは逆の哀愁が感じられた。中間部のピッコロ独奏も堂に入る。

オーケストラ・ダスビダーニャ第22回定期演奏会
2015年2月8日(日)14:00開演
東京芸術劇場コンサートホール
プレコンサート「フルート・アンサンブル」(13:30~)
・ショスタコーヴィチ:バレエ組曲(オッリス編)
―リリカル・ワルツ
―ロマンス
―ワルツ・スケルツォ
清水怜(第1)
今井はる恵(第2)
久保真理子(第3)
石丸勝洋(アルト)

・ショスタコーヴィチ:交響詩「十月」作品131
・ショスタコーヴィチ:映画音楽「新バビロン」作品18
―Ⅰ「戦争」
―Ⅱ「パリ」
―Ⅲ「ヴェルサイユ」
休憩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番ハ短調作品65
長田雅人指揮オーケストラ・ダスビダーニャ

ここで一旦チューニング。そして始まった第3楽章アレグロ・ノン・トロッポ冒頭、ヴィオラが中庸のテンポで(速過ぎず遅過ぎず)「タタタタ、タタタタ♪」と音形を刻み始めた瞬間のカタルシス。木管群、金管群による金切り声に度肝を抜かれ、中間部の行進曲風のトランペットの旋律に感動。第3楽章からアタッカでなだれ込む第4楽章ラルゴ冒頭の強烈な阿鼻叫喚は、ショスタコーヴィチの心の叫びであり、ここでのダスビダーニャの演奏は真に迫るものがあった。静謐なパッサカリアに平和を願う「心よりの祈り」が感じられ、そのまま引き継がれる終楽章アレグレットの希望に溢れる愉悦に、これは戦争交響曲などではなく、あくまで平和を願う未来への大いなるメッセージなのだと僕は理解した。
もはやオーケストラの技量云々の問題ではない。作曲者の「心」をいかに具現化できるかだ。その意味では、今日のダスビダーニャの各ソロも総奏も、そうどんなひと時も血が通った音楽が流れていた。

コンサート前半については、1曲目の交響詩「十月」に、緩急と、緊張と弛緩と、音楽が時間と空間の芸術であることをあらためて知らしめられた。特に、打楽器群の劇的で有機的な響きに期待が高まった。ショスタコーヴィチは、幸か不幸か帝政末期のロシアという国に生を受け、そして革命以降のソビエト連邦という国の支配の中で創作活動を強いられたが、一見体制に迎合するように見せて、実は自身の軸というものを貫き通した作曲家ではなかったか。実に抑圧的なものと、それが解放される瞬間の爆発こそがショスタコーヴィチ芸術の極みであると思うが、おそらくそれは計算づくのものであり、本当のところは創造活動を通して真の自由を手に入れていた、そんな人ではなかったか。不自由でありながら自由。束縛という中にこそある自由。そう、心の真の自由だ。それこそショスタコーヴィチの真髄。

次の「新バビロン」では、演奏前に長田雅人氏の解説が入った。パリ・コミューンとブルジョワの戦いを描く映画の付随音楽だが、ここには戦争の陰は微塵もなく、いかにも皮肉屋ショスタコーヴィチによる、ブルジョワの遊びの表現だとおっしゃっていた。なるほど、その演奏も実に楽しいもので、観客の拍手を交え、ショスタコーヴィチの純粋交響曲とは正反対の側面を堪能できる実に楽しい時間だった。

ちなみに、コンサート開始前、ホワイエでフルート四重奏によるバレエ組曲が3曲披露されたが、こういう肩肘の張らない音楽をすっと書けるところがまたショスタコーヴィチの天才の所以。どんな種類の音楽であろうと、心はショスタコーヴィチ。

 

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6 COMMENTS

佐藤寛治

ご来場いただきありがとうございます。ファゴットを吹いておりました。
緊張しましたがとても楽しかったです。

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小西 淳

初めまして。同じく昨日聴きました小西と申します。
強音は凄まじかったが弱音がさらに素晴らしかった、優しい微かな響き、すばらしかった。
全く同感です。

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岡本 浩和

>小西淳様
コメントありがとうございます。
2012年、2014年と今回3度目のダスビダーニャでしたが、今回も素晴らしかったですね。
今後ともよろしくお願いします。

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