井上道義指揮東京都交響楽団 第927回定期演奏会Cシリーズ

空間を埋め尽くす音楽の色合いの美しさ、そして、楽器のバランス、すべてが目くるめく(アンニュイかつ)高貴な世界に彩られた2時間だった。東京都交響楽団の各団員の技術力の確かさと精密なアンサンブル、何より心のこもった音楽性に、久しぶりに触れて感激した。
音楽をする喜び、音楽を聴く官能、オーケストラの生音がいかに生きる力に直結するか、僕は心から感じた。
第1次大戦中、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスのためにエリック・サティが書いた「パラード」の、輪郭の明瞭な空騒ぎに、虚像たる世界の、現在にも続く茶番の音化を思った(第1次大戦への皮肉か)。音楽とは(それが舞台であれ、絶対音楽であれ)文字通り「音を楽しむ」ものだ。サイレン(高音と低音)あり、ルーレットあり、ピストルあり、タイプライターあり、世俗的な、何でもありのオーケストラ編成にあって、井上道義は実に小気味良い仕草で音楽を牽引した。そこには、まるでルールなど存在しないかのように自由自在の音楽があった。何より漸強、漸弱の巧みさ。最後の音が消えると同時に指揮者はさっと客席に向き直ったが、あの、洒脱な、言葉で表現し難い空気感が、今日のすべてを物語っていたように僕は思う。

また、いかにもサン=サーンスらしい美しい旋律で占められるヴァイオリン協奏曲第3番は、浪漫に満ち、外向的かつ開放的な音に溢れ、素晴らしかった。辻彩奈の集中力に富んだ、同時に随所で感情を抑制しつつ、冷静沈着に音を操る姿に、すでに大家の風貌を僕は見た。独奏部分の瞑想に対し、一方オーケストラは彼女のすべてを包み込むように大らかだ。楽章が進むにつれ音楽の精度は高まり、何より終楽章モルト・モデラート・エ・マエストーソ―アレグロ・ノン・トロッポに至り、作曲者の喜びを表現するかのような曲の弾けっぷり。興奮の極み。そして、ソリストのアンコールは、作品の開放感を再度締めるかのような厳しい権代敦彦の独奏曲から一楽章。静寂の中から紡がれる最弱音と、蚊の鳴くような最高音に烈火を思い、僕は思わず唸った。

第927回定期演奏会Cシリーズ
2021年5月18日(火)14時開演
東京芸術劇場コンサートホール
辻彩奈(ヴァイオリン)
石丸由佳(オルガン)
矢部達哉(コンサートマスター)
井上道義指揮東京都交響楽団
・サティ:バレエ音楽「パラード」(1916-17)
・サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61(1880)
~アンコール
・権代敦彦:Post Festum(ソロ・ヴァイオリンのための)より「II」
休憩
・サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付」(1886)

そして、20分の休憩をはさんで演奏されたサン=サーンスの「オルガン付」交響曲のあまりの見事さよ。コンパクトな形式の中に広がる大宇宙の顕現。第1楽章前半部冒頭から井上の透徹された意志が見事に反映された、何と生き生きとした演奏だったことか(金管によるコラールの堂々たる煌く風趣よ)。後半部ポコ・アダージョの敬虔なオルガンの夢見るトーンに、信仰の美しさを僕は想像した。そして、第2楽章前半部アレグロ・モデラートの快活さ、さらにはオルガンによる宗教的、祝典的音調の導入をもつ後半部マエストーソに僕は胸躍り、アレグロ部では胸高鳴った。サン=サーンスの生への肯定か、音楽はクライマックスに向けて前楽章の様々な主題が回帰し、聴く者の魂まで捉えて離さない。指揮棒を持たない井上は、時に両手を振り回してオーケストラを鼓舞し、時にオーケストラに完全に委ね、音楽を実に動的に処理していく。何という輝き。

僕の生活に音楽は必須であることをあらためて思った。感謝。

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