
いずれも20世紀の古典的名作。
すべてがバランスの中にあり、いつ何時耳にしても感動を得られる逸品。
だが、結局のところ、告発は聞き入れられず、栄えある第一回のスターリン賞、しかも第一席に輝くことができた。うがった見方をすれば、これはおそらくスターリンによる台本通りの授賞で、本来なら、交響曲第5番にこそ授けられるべきものだったにちがいない。なぜなら、「荒唐無稽」批判以後、当局は陰に陽にショスタコーヴィチの保護に努めてきた事情があるからである。
~亀山郁夫「ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光」(岩波書店)P226
亀山さんの見方は正しいと思う。
二枚舌を使いながらも、自由自在に天性をコントロールできたショスタコーヴィチの綺語、妄語ははるかに僕たちの想像を超える。
初演の日、同じ会場に居あわせたプロコーフィエフが書いている。
「ショスタコーヴィチがかりに60歳であるなら、年月を経て人生経験も豊かになった人間として、このように個々の音符を量りにかけるような習慣というのは、おそらく優れた長所ということになるのだろう。ところがそれが今や欠点になる恐れがあるのだ。だから私としては、この五重奏曲に意欲とか高揚といったものが不足しているのを残念に思う。といって全体としてこの作品がすばらしい作品であることを認めるのにやぶさかではない」
~同上書P227
これはもはやプロコフィエフの独断的フィルターが入っての評だと思われる。
初演から86年を経た現代では、これほど意欲と高揚に長じたピアノ五重奏曲はないだろう。
・ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番ホ短調作品67(1944)(1995.4録音)
エリーザベト・レオンスカヤ(ピアノ)
ミハイル・コペリマン(ヴァイオリン)
ヴァレンティン・ベルリンスキー(チェロ)
実演で聴いたアルゲリッチ、クレーメル、そしてマイスキーによるすみだでの演奏が今もって忘れられないほど衝撃だったが、後のリリースされたその録音は残念ながら会場の空気感までは収録されていない。
その意味で衝撃的なのは、第3楽章におけるユダヤ的モチーフの登場だろう。葬送とレクイエムのモチーフが突出し、ピアノ三重奏曲の「ジャンルの記憶」がもっとも明らかになる部分である。モチーフの起源は、ソレルチンスキーの両親の住む西ドヴィノの町ヴィテプスク出身の画家ソロモン・ゲルショーフが歌ってくれたユダヤ民謡にあった。恐るべき記憶力の持ち主だったショスタコーヴィチはゲルショーフの歌を無意識のうちに吸収し、別の装いのもとにこれを甦らせた。彼はのちに詩人アーロン・ヴェルゲリスにこう告白している。
「私はどうもユダヤ的メロディの際立った特長がどこにあるかがわかっているらしいのです。陽気なメロディがここではもの悲しいイントネーションのうえに築き上げられている・・・。なぜ、民衆はにぎやかな歌を歌いだすのか。なぜなら、心がさびしいからです」
~同上書P287
レオンスカヤとボロディン四重奏団員のこの録音は、まさに亀山さんが書く第3楽章ラルゴを表現の中心におき、聴き手を沈痛な「鎮魂」に誘うと共に、この曲の、剽軽な、いかにもショスタコーヴィチらしい、悲しみの裏側に表出する「賑やかさ」を他の楽章の随所で感じさせるよう設計されている。(オーソドックスな、踏み外しのない表現なので、好き嫌いはもちろんあろう)
ショスタコーヴィチ&ベートーヴェン四重奏団のピアノ五重奏曲ほかを聴いて思ふ 自作自演盤が素晴らしい。
ちなみに、亀山さんのこの著作は、ショスタコーヴィチの作品の手引きの最高の一つだと思う。
