
大瀧詠一で検索をした。
トップに出てきたのが、「あの娘にご用心(Fussa 45 Studio Live 1976)」だった。痺れた。
大瀧さんが急逝したのは2013年12月30日だった。年末に帰省中だった僕はそのニュースに耳を疑った。享年65と聞いて、ますます信じられなかった。
追悼 大瀧詠一「恋するふたり」を聴く 渋谷陽一のインタビューに大瀧さんは心の内を吐露している。(2004年)
—シングル構想とは別個?
「全然別。アルバム作りっていうのにはだんだん向かなくなった。シングルを集めた形ならあるとはずっと思ってた」
—頭はあると思ってても、体はついてかない?
「ついていかない。もう。曲を作ろうっていう気にならない」
—積み残しだと体は動くのに、何で前に向かったものは体は動かないんですか?
「動かないのよ。唯一動いたのが97年の“幸せな結末”」
—(笑)あれは終わろうっていう話じゃないですか。
「いや、全然全然。曲がね、書けなかったのよ。あん時に業界内で賭けが行なわれてさ。『どうせ書けない』、『いや、何とかして書くだろう』という。実際ドラマのCMは旧譜の“君天”(君は天然色)と“カレン”(恋するカレン)が流れてたの。あの山下達郎ができないって方に賭けたんだよ?」
—ははは。あの時は曲のタイトルからして売れなきゃやめるっていう覚悟かと—。
「タイトルはねえ。それこそ放送始まる2週間ぐらい前かな? リズム録って、メロディできて、『できた!』って言ったはよかったけど、タイトルも詞も何も考えずに俺が曲ができたっていうだけで全員喜んで(笑)。それで、プロデューサーが高校生の頃からはっぴいえんどのファンだったから、『(happy endから)“幸せな結末”でどうでしょう』って『あ、いいね』って決めたんだよ」
~「大瀧詠一 Writing & Talking」(白夜書房)P207-208
結局のところ、大瀧詠一は曲が生み出せなくなったという理由で歌手をリタイヤしたということのようだ。ちなみに、はっぴいえんども成り行きだったらしい。「始まりもなりゆき、終わりもなりゆき」だとは本人の弁。
幸せな結末
神野靖子&小原孝の「わがうた/パリ旅情」(2016.4録音)ほかを聴いて思ふ 世間がどれだけ期待しようとも、本人は頑なだった。
しかしそれは、創造行為が凡人の僕たちの想像以上の難行苦行だったということだ。
自分が思うようなものができなくなったとき、引く。そういう意味で彼は実に潔い。
—じゃあ、当初の、シングル集めてアルバムを作るっていう計画が頓挫したことへの未達成感はないんですか。
「ないないない。全然。だって『ロンバケ』がそうだもん。要するにあの3年間って僕の歌手稼業だったのよ。15年間の中で、歌手として自分の声に合わせて作ったのって、あの3年だけだから。人にだったら書けるんだけど、自分を歌手として見立てた時に全然エモーションが湧かないのよ」
~同上書P211-212
歌手としての大瀧詠一はあの時点で終わっていたのだということがわかる。
そして、大瀧は次のように語る。
「引退宣言もしてないし、音楽から足を洗ったとも言ってないしね。そういう意味合いで言うなら、生への執着心はまだある。と同じように、音楽に対する全部の興味を失ってはいない」
~同上書P213-214
それから10年も経たないうちに大瀧詠一は生涯を閉じた。
残念だと思うのは世間だけかもしれない。
本人はやり切ったと思っているだろうし、もはや未練はなかったことだろうと思う。
永遠の名盤「ロング・バケーション」と「イーチ・タイム」。
周年を迎えるたびにリマスターされるこれらのアルバムは、僕の座右の音盤。
今もって新しい。
・EIICHI OHTAKI:A LONG VACATION (1981)
・EIICHI OHTAKI:EACH TIME (1984)
そういえば、昨年、渋谷陽一さんも亡くなったのだった。

大瀧詠一、おそらく最後の(?)ラジオ出演だろうか・・・。やっぱり「生への執着心はまだあるな」(笑)。
