札幌交響楽団東京公演2015

sakkyo2015_20150217115シベリウスの至高の音楽に包まれてとても幸せだった。これほどに凝縮された美しい作品たちが20世紀の北欧の国で生み出された奇蹟に感謝した。それにしても札幌交響楽団の献身的な、特にシベリウスを演奏する上で重要な弦楽器群の音に心が震えた。
第5番変ホ長調は、大自然に宿る神々への讃歌だ。冒頭、ホルンによる第1主題群に作曲者の心を想った。終楽章アレグロ・モルトの、金管による「白鳥の讃歌」の恍惚の調べに涙し、弦楽器のたおやかな響きに感動した。尾高忠明も、コンサートマスターの大平まゆみも、実に音楽をするときの表情に喜びが溢れる。音の一粒一粒が有機的で、シベリウスの詩情と心情がサントリーホールを満たした。

1915年4月21日、午前11時10分前、16羽の白鳥が私の上を旋回し、やがて陽光の照る靄の中を、銀のリボンのように消えていった。―シベリウス

ホクレンクラシックスペシャル
札幌交響楽団東京公演2015
2015年2月17日(火)19時開演
サントリーホール
大平まゆみ(コンサートマスター)
尾高忠明指揮札幌交響楽団
シベリウス生誕150年記念
シベリウス:
・交響曲第5番変ホ長調作品82
休憩
・交響曲第6番ニ短調作品104
休憩
・交響曲第7番ハ長調作品105
~アンコール
・アンダンテ・フェスティーヴォ

第6番ニ短調第1楽章アレグロ・モルト・モデラート冒頭の、弦楽器群の2分割の書法にシベリウスの天才を見る。これほどに繊細かつ大胆、この上ない美に溢れる「出」は他にないのでは?ほとんど宇宙的ともいえるこの崇高な交響曲に、シベリウスの意識がもはや個体を超え、脱皮、すべてとつながっているかのような感覚を覚えた。第2楽章のポーコ・コン・モートの後半、弦の無窮動伴奏と木管の明滅に「孤高」を見いだし、交錯の詩情に作曲者の天才を思った。ここはオーケストラも(おそらく)命懸け。この大宇宙の鳴動に重なるように響くのが、終楽章コーダの弦による「泣き」の旋律。この絶唱はもはや人間らしさの象徴であるといえる。ここも本当に指揮者と奏者の想いがこもっていた。

第7交響曲、生命と活動の喜び。―シベリウス
間違いなく今夜の白眉は、最後の第7番ハ長調だろう。シベリウスの精神はいよいよ漆黒のブラックホールへと移り、それを聴く僕たちの魂は見事に昇天する。単一楽章のこの作品を通じてシベリウスが表現したかったものは、一言でいうならすべてを包括する「愛」だ。金管による悠久を示す平和の旋律に愛の浄化を感じた。そして、コーダの「無限」には思わずため息が漏れた(最後の音が鳴り終わるや否や、指揮者の腕が下りていないにもかかわらず、一瞬フライング拍手が起こったのは興醒めだったけれど。それだけ音楽が感動的だったということだろう)。

アンコールの恒例「アンダンテ・フェスティーヴォ」も本当に素敵な演奏。
何度も書くが、札幌交響楽団の弦楽器は素晴らしい。技術的に云々を超え、シベリウスへの愛情、愛着が並大抵でないことが直に伝わる。

 

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