ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルのシベリウス「クッレルヴォ交響曲」を聴いて思ふ

sibelius_kullervo_berglund_helsinki116クッレルヴォ交響曲を聴いて思った。これは魂の闘争の音楽だと。
祖国の英雄譚「カレワラ」の第31章から第36章を題材にした「クッレルヴォ」の物語は、近親相姦を主題の軸に、その上に起こる戦いと死をモチーフにした、ある意味ワーグナーの楽劇にも通ずるものである。とはいえ、果たしてそれがワーグナーのように、死をもって愛の成就を謳うものなのかどうなのか、僕の知識、解読力不足のためかそれはわからない。
興味深いのは、クッレルヴォが実の妹であった乙女を、それとは知らず犯した後、すぐさま後悔、自責の念に駆られるところ。

悲しくも私はわが妹を、
わが母の娘を犯した!
悲し、わが父、悲しわが母、
わが年老いた両親よ!
何の為に私を育てなさったのか、
育ててこのような不幸に会うとは!
~第3楽章「クッレルヴォと彼の妹」(菅野浩和訳)

人間の心底にある「倫理」の源が家族の絆であることを仄めかす。家族、すなわち民族の絆というものは切っても切れないもので、これを守らねばならぬとクッレルヴォは歌うが、それが守られなかった時になされる行為が「自刃」。何だか戦前の日本を思わせる。

主題が決して有機的に絡むのではなく、しかも物語の進行に合わせて音楽がただ素直に積み上げられるように展開してゆく様に、後期のシベリウスの熟練した技術に比して稚拙感は否めない。ましてや、ほぼユニゾンで歌われる合唱には正直辟易するが、一方でそのことが若きシベリウスの祖国愛をストレートに表現する気概に溢れており、剥き出しの魂が感じられ、ここにクッレルヴォの闘争や苦悩を見ることが可能。

シベリウス:
・クッレルヴォ交響曲作品7
・「故国」作品92
・「火の起源」作品32
エーヴァ=リサ・ナウマネン(メゾ・ソプラノ)
ヨルマ・ヒンニネン(バリトン)
ヘルシンキ大学合唱団
ソヴィエト・ロシア国立アカデミー・エストニア男声合唱団
ヘルシンキ大学男声合唱団
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1985.6録音)

第4楽章「戦いに赴くクッレルヴォ」の、行進曲風の民族的なニュアンス豊かな旋律にクッレルヴォの勇気と行動を想う。特に、テンポがヴィヴァーチェに変わるコーダの部分に、交響曲第1番にある祖国愛を想う。
そして、第5楽章「クッレルヴォの死」における、クッレルヴォの自死の場面の音楽は、この楽章のクライマックスであり、若きシベリウスの真骨頂。

荒野に固く柄を当て、
その剣先を彼の胸に当て、
その尖端に彼の身を投げ、
こうして死を求め、
死へと直ちに向かった。

ここに若者は滅びた。
英雄クッレルヴォは死んだ、
こうして男の子の生涯は終わった。
幸少ない英雄は死んだ。
~第5楽章「クッレルヴォの死」(菅野浩和訳)

ベルグルンドの2度目の録音となるこの「クッレルヴォ」は、何よりシベリウス指揮者としての彼の鮮烈な感性と緻密な職人気質が成し遂げた傑作。初演の大成功にもかかわらず、作品の完成度に満足していなかった作曲者が再演を禁じた「クッレルヴォ」蘇演(というか初の正規録音)の功労者としての気概が随所に感じられる名演だと思う。

 

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