音楽の自然な移ろいと、音楽そのものと同化するピアニズムがマルタ・アルゲリッチの妙。特に、デュオで繰り広げる完璧なアンサンブルに僕はずっと畏怖の念を抱いてきた。
それは、彼女が第1ピアノを受け持とうが第2のそれであろうが、相手を引っ張る、というより完全に一体化して、まるで自身の4本の腕で音楽を創造するかのような完全さであり、意志が統一されているところが本当にすごいと思うのである。
アレクサンドル・ラビノヴィチと組んだブラームス集も、常に活き活きと音楽センス満点で、しかもどの瞬間も有機的で聴く者を魅了し、別世界に誘ってくれる代物。
例えば、「ハイドン変奏曲」作品56b。
あっさりすんなりと奏されるハイドンの主題「聖アントニーのコラール」に早くも内燃する情熱を思う。第1変奏を経て、第2変奏の揺るぎない爆発はブラームスの堂々たる自信を秘める。そして、第3変奏と間合いを十分取っての第4変奏の優しき浪漫。この静けさと緩やかさこそがブラームスの一面なのだ。続く、第5変奏と第6変奏の快速でありながら音楽を失わないピアニスト2人の完膚なきまでの技術に感服。ブラームスが快哉を叫ぶよう。
さらには、第7変奏の安息の歌に涙する間もなく第8変奏での軽快な神秘性。
とはいえ、白眉は何と言っても終曲。すべてが解放され、ひとつとなり、「聖アントニーのコラール」が高らかに奏されるシーンに涙する。
「ハイドン変奏曲」作曲の年、すなわち1873年8月にはボンでシューマン記念音楽祭が開かれたというが、同月13日にクララとヨハネスとによってこの変奏曲が試奏されたらしい。なるほど、ブラームスが管弦楽版と2台ピアノ版とが別作品だとこだわったのには、相応の理由があったのかも(管弦楽版は当時正式にウィーン・フィルの指揮者となったブラームスが演奏会で披露するために作曲したものであり、一方、2台ピアノ版は愛するクララとのアンサンブルと演奏するために生み出したものだという企図があったのかも)。
いずれにせよ「ハイドン変奏曲」は愛と情熱に溢れる崇高なる音楽だ。
ブラームス:
・ハイドンの主題による変奏曲作品56b
・2台のピアノのためのソナタヘ短調作品34b
・ワルツ集作品39(2台ピアノ版)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
アレクサンドル・ラビノヴィチ(ピアノ)(1993.4録音)
レヴィとともにあなたの作品34のソナタを弾いた楽しい何時間の後に、私の心を満たしたものについて書きましょう。
どの点から見ても素晴らしい立派なあなたの傑作で、各楽章の組みあわせかたも優れています。けれどもソナタではありませんね。この音楽の表現するものは、もっと大きなオーケストラで示されるものだったと思います。
多くの美しい楽想の味が、ピアノの上では失われ、専門家にはわかるけれど聴衆にはついてゆけないでしょう。最初に弾いた時から、私は何かピアノに編曲した作品かしら、という印象を受けました。レヴィも同様のことを言っておりました。ヨハネス、どうかこの作品をもう一度考えてみてくださいね。今その気持ちになれなかったら、一年ほどほったらかして、それからでもよいでしょう。
1864年7月22日付、バーデン・バーデンからクララよりヨハネスへ
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P143
かくしてヨハネスはこの作品をもととして唯一のピアノ五重奏曲を生み出すことになる。
強固な意志が表出される愛すべき作品34bも実に美しい。
抒情的な第2楽章アンダンテ・ウン・ポコ・アダージョが素晴らしいが、一層見事なのが終楽章ポコ・ソステヌート―アレグロ・ノン・トロッポの構成美。ここでのアルゲリッチは第2ピアノに回っているが、それにしても20本の指で奏でられる音楽の強靭さ!
ちなみに、可憐なワルツ集はちょっとしたアンコール・ピースの態だが、その軽々とした何気なさに天才を見る。
有名な第5番変イ長調はまるで天からの声のよう。
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