バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのマーラー第10番アダージョほかを聴いて思ふ

mahler_8_10_bernstein _vpo150グスタフ・マーラーの交響曲にある支離滅裂さは、二元世界の中で僕たちが抱える矛盾の投影なのだとレナード・バーンスタインは言う。確かにマーラーほど様々な意味で「人間的な」人はいなかった。強烈なプライドと、その裏に潜む異様なまでの劣等感と依存心により時代の寵児として音楽界に君臨するも、一方で人間関係のトラブルにより散々なる打撃を被るという生き様。深層に積もり積もった怒りや不安や、あるいは喜びや悲しみや、一切のあらゆる蓄積物が感情の坩堝たる作品を創り上げているのだから、享受者である後世の僕たちがそれらすべてを芸術の一形態であると認め受け容れ、感謝せねば。さすればうまく収まり、マーラーも本当に浮かばれるだろうに(?笑)。

全生涯にわたって、彼を苦しめた、このようなマーラーの相反する二重のヴィジョン(人生に対する、つよい愛着と人生への嫌悪、天に対するはげしい憧憬と死の恐怖にさいなまれている矛盾)は、われわれが、逆に、彼の音楽に認めるようになったヴィジョンにほかならない。・・・それは、世界の大虐殺、民主主義の前進に附随してますます戦争を防止することに対するわれわれの無能、社会的平等に対してわれわれの積極的な抵抗の強化を伴いながら同時に国家に対する忠誠の誇大、などを体験して、50年、60年、70年の年月がたってからにすぎない。
レナード・バーンスタイン/三浦淳史訳「マーラーの時代が来た」
「音楽の手帖マーラー」(青土社)P96

とはいえ、未完となった第10番の、少なくともほぼ完全な形で残されたアダージョ楽章については、不徳の妻アルマへの正負の感情が蠢きつつ見事に消化、昇華された音楽がどの瞬間にも渦巻き、これだけでひとつの完成された交響曲であると言い切っても言い過ぎではないように僕は思う。

彼の左足(心臓に直結している)は、しっかりと、あの豊かな、いとしい19世紀をふみしめており、右足は、どちらかといえば、ふらふらしながら、20世紀に堅実な足場を求めている。彼は遂にこのような足場を見出すことができなかったという人もあるが、一方では、その右足が、堂々たる足音を立てて、そこをふみしめなかったとしたら、われわれが知っているような20世紀音楽は存在しなかったであろうという主張もある(わたくしはこの説に賛同する)。
~同上書P97

かく論ずるバーンスタイン自身は交響曲第10番、特にスケルツォにおける「リズム上の実験や無調性とのたわむれ」については違和感を持っており、いわゆる「復元版」に関してはれっきと認めないと断定する。マーラーが20世紀音楽に与えた影響、すなわち彼の新しい形式を追求する努力はすでに後期のベートーヴェンの世界で行われていることであり、場合によってはこの交響曲は破棄されてもおかしくなかったと彼は推測するのである。

マーラーがあんなに若くして死ななかったとしたら、どういうことになっていただろうと思うことがある。彼は、多少とも、最近復原された“新版”のように、「第10交響曲」を完成しただろうか?それとも、彼はそれを破棄しただろうか?彼が境界線を越えてシェーンベルクの陣営に参加しようとしたという痕跡があったろうか?それは、音楽史上きわめて魅力的な「もしも」の一つである。ともかく、彼はその危機を生き抜くことはできなかったとわたくしは思う。
~同上書P99

なるほどこの論文は、バーンスタインの懐古的、粘着質のマーラー解釈の意図がはっきりと書かれており、真に興味深い。彼にとってマーラーは19世紀の作曲家なのである。
残念ながら、晩年の全集のためには命が間に合わず残されなかった第8番と第10番。1975年のザルツブルク音楽祭での第8番もさることながら、前年の、第10番アダージョ楽章の圧倒的素晴らしさ!!この楽章には、マーラーのすべてが刻印されていると言っても言い過ぎではなかろう。死への恐怖と生への執着、妻への愛憎・・・。あくまで現実世界に固執するマーラーの2つの顔がはっきりと記される。例えば、後半に現れるアルマを表わす例のトランペットのA音の、何とも恐怖を煽る響きと、一方で愛とも安寧とも表現し難い音調。全編を通じてバーンスタインが言う「豊かでいとおしい19世紀」を踏みしめた姿が僕たちの眼前に堂々と現れるのである。

マーラー:
・交響曲第10番~アダージョ嬰ヘ長調(1974.10Live)
・交響曲第8番変ホ長調(1975.8Live)
マーガレット・プライス(ソプラノ)
ジュディス・ブレゲン(ソプラノ)
ゲルティ・ツォイマー(ソプラノ)
トゥルデリーゼ・シュミット(アルト)
アグネス・バルツァ(アルト)
ケネス・リーゲル(テノール)
ヘルマン・プライ(バリトン)
ジョゼ・ヴァン・ダム(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱連盟
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン少年合唱団
ルドルフ・ショルツ(オルガン)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

40年前のザルツブルクでの「千人の交響曲」の威厳に満ちた宇宙的音響に跪く。第1部の、抑圧から一気に解放される如くの拡がりに、この作品においてマーラーがようやくすべてを受け容れたのだと知る。
とはいえ、一層凄いのは第2部。ある意味、バーンスタインらしくない余計なものが削ぎ落とされた清澄な演奏。そうか、80年代のあの超粘っこい演奏とはちょっと違うのだった・・・。

 

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