初演の際、カミーユ・サン=サーンスが激賞したソナタ。
ガブリエル・フォーレ自身は、クレール夫人宛の手紙の中で次のように語る。
今夜このソナタは私の期待をはるかに越える成功を収めました。「スケルツォ」は、聴衆の要求に応えて当然のごとく二度力強く演奏されました。
(1877年1月27日付、マリー・クレール宛手紙)
~ジャン=ミシェル・ネクトゥー著/大谷千正編訳「ガブリエル・フォーレ」(新評論)P42
当時の、マリアンヌ・ヴィアルドとの熱烈な恋愛を反映してか、歓喜に満ちた、情熱迸るヴァイオリン・ソナタ。しかし、その情熱はどこか暗く醒めている。ガブリエル・フォーレの音楽に内在する、ヨハネス・ブラームスとはまた違った意味で内向的な作品は、もどかしく、それゆえに人々の心をとらえる逸品。
第1楽章アレグロ・モルトの、力強い主題と前のめりの音調に、30歳のフォーレの希望と自信を垣間見る。また、幻想的な第2楽章アンダンテは、愛を囁くようなヴァイオリンの音が印象的。ここでオーギュスタン・デュメイは、ほとんどフォーレと感情を一にするかのように想いを込めるのだ。そして、アンコールされた第3楽章アレグロ・ヴィーヴォの、軽快かつ明朗な舞踊に思わず快哉を叫びたくなるのである(ピツィカート薫るスケルツォ主題が何だかとても悩ましい)。さらには、終楽章アレグロ・クワジ・プレストの甘い浪漫。名演だ。
フォーレ:
・ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13
・ヴァイオリン・ソナタ第2番ホ短調作品108
・子守唄ニ長調作品16
・ロマンス変ロ長調作品28
・アンダンテ変ロ長調作品75
・初見視奏曲イ長調(1903)
オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)(1976.6.9-11, 1977.4.4-5, 1978.11.2-3録音)
それから40年の時を経て生み出されたソナタ第2番は、筆致がより精巧になり、老練の極みの印象を与えるも、内なる炎は相変わらずフォーレのそれで、一聴、もどかしいながらやはり僕たちの心をとらえて離さない。宗教的崇高さを醸す音調は、晩年のフォーレの信仰心の表れか。何より第2楽章アンダンテは、淡々とした中に侘び寂を仄めかす傑作。デュメイのヴァイオリンがうねり、コラールのピアノが物憂げに語る。
もう秋か。—それにしても、何故、永遠の太陽を惜しむのか、俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、—季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。
秋だ。俺達の舟は、動かぬ霧の中を、纜を解いて、悲惨の港を目指し、焔と泥のしみついた空を負う巨きな街を目指して、舳先をまわす。ああ、腐った襤褸、雨にうたれたパン、泥酔よ、俺を磔刑にした幾千の愛慾よ。さてこそ、遂には審かれねばならぬ幾百万の魂と死屍とを啖うこの女王蝙蝠の死ぬ時はないだろう。
「別れ」~「ランボオ詩集」
~小林秀雄全作品2(新潮社)P68-69
そうして、「子守唄」の言葉にならない美しさ。
大人も眠りに誘われる癒しのこのマスターピースは、デュメイのヴァイオリンの柔らかい音色を得て、一層輝きを増す。最高だと思う。
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