ムラヴィンスキーの「ロメオとジュリエット」「くるみ割り人形」(1981Live)を聴いて思ふ

tachaikovsky_prokofiev_mravinsky_1981155真につながる、魂の舞台を共にする者は現実世界ではひとつになれないもの。なぜならこの世は修業だから。
ウィリアム・シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。いわば女との関係に妥協のない男の物語。1981年の年末に繰り広げられた見事な音のドラマ。何と険しく、そして何と厳しい音楽であることか。ただし、ここには切ない愛に溢れる。

モンタギュー家とキャピュレット家という相克する家にそれぞれが生れたことがそもそもの因縁。セルゲイ・プロコフィエフの、両家を表わす音楽は、音の内側に垣間見える恐るべき憎悪の感情を見事に表現し、聴く者の肺腑を抉る壮絶さ。しかも、晩年のムラヴィンスキーの血の出るような研ぎ澄まされた解釈に開始早々その前にひれ伏してしまう。

いつの時代もロシアの音楽の特長のひとつは、優美で繊細な旋律の美しさ。と同時に、重厚で暗鬱な危うさ。特に、チャイコフスキーにはじまるバレエ音楽の素晴らしさは、その情景や心象の描写を見事な音調で表現したこと。その上での、舞踊と音楽の完璧な融合。しかも、仮に踊りがなかったとしても純粋音楽として立派に成立するところ。

・プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」第2組曲作品64Terから(1981.12.30Live)
―第1曲「モンタギュー家とキャピュレット家」
―第2曲「少女ジュリエット」
―第3曲「修道士ローレンス」
―第5曲「別れの前のロメオとジュリエット」
―第6曲「アンティル諸島から来た娘たちの踊り」
―第7曲「ジュリエットの墓の前のロメオ」
・チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71から(1981.12.31Live)
―第6曲「クララとくるみ割り人形」
―第7曲「くるみ割り人形とはつかねずみの王様の軍隊との戦闘~くるみ割り人形の勝利、そして人形はりりしい王子に姿を変える」
―第8曲「クリスマス・ツリーの中で」
―第9曲「情景と雪片のワルツ」
―第14曲「パ・ド・ドゥ~イントラーダ」
―第15曲「終幕のワルツとアポテオーズ」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

ムラヴィンスキーは、あえてチャイコフスキーの編んだ組曲版を使わない。「くるみ割り人形」のより重要なシーンを、愉悦あり、悲哀あり、そしてメルヘンあり、現実ありとまるでひとつの音楽詩のように演奏する。例えば、第9曲「情景と雪片のワルツ」から第14曲「パ・ド・ドゥ~イントラーダ」にかけての有機的な音の流れと、ドラマの進行が眼前に広がるような音調に感無量。本来ならば少年合唱によって歌われる美しい旋律が、ハープの伴奏に乗ってオーボエで歌われる場面の愛らしさ!そして、パ・ド・ドゥの甘美な旋律に涙。

偉大なアダージョで生み出されたサウンドの質の高さが、オーケストラ演奏の力強さと豊かな音色の透き通った音域により、すべての人々を驚かせた。立派なシャンデリアが震えて揺れ動くのを感じることができたが、これはフィルハーモニーで他の誰もなしえなかったことだ。
(音楽学者ソフィア・バルチェワの回想)
グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」P316

1981年の年末にレニングラード・フィルハーモニーに居合わせることができた聴衆はさぞ幸せだったことだろう。

 

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