“Coltrane/Prestige7105″を聴いて思ふ

coltrane_prestige7105187どんなことでも追究し続けていれば「わかる」ようになるものだ。
ジャズ音楽におけるタモリの伝説、というより事実は真に興味深い。一関のジャズ喫茶「ベイシー」の菅原正二さんの回想。能ある鷹は爪を隠すと言うが、決してひけらかさないのがタモリの謙虚さであり、すごいところ。

ある時マイルスの「イン・ベルリン」をかけたら、タモリがこう言ったんだ。「こいつらもう、モードに飽きてますね。この演奏」って。

もちろん「イン・ベルリン」はケチをつけるところのない名盤なんだけど、それ聴いてサラッとそんなこと言うんだな。俺もびっくりしてもね。この音からそこまで読んだか、と。それから、その次に来た時だったかな、エレクトリック・マイルスの「TUTU」をかけたんですよ。俺はエレクトリック・マイルスも案外好きでよくかけるんだけど、タモリはあの辺りからはもうあまり好きじゃなくて、そんなに聴いてないみたいなんですね。そうしたら「TUTU」をしばらく黙って聴いて、「あれ。俺、マイルスがこういうことをやりたいと思った気持ちがやっとわかった気がする」って。そういう核心を突くようなことをバシッと言うんだよ、タモリは。
SWITCH5(Vol.33 No.5 May. 2015)「ジャズ・タモリ」(SWITCH PUBLISHING)P37-38

タモリはマイルスのこれらの名盤をどれくらい繰り返し聴いたのだろう・・・。
それと、この人は「自信がないのだ」と自らを貶めるような言葉を発するが、であるがゆえに興味の幅は極度に広く、しかもそれをとことんまで突き詰める探究心が半端でない。そこがタモリをタモリたらしめている大きな要因。自信がないのではない、おそらく必要以上に謙虚なだけである。

自信がないんですよね。慣れないというか。ベテランという意識もないし、いまだに中堅ぐらいの意識ですよ。そういう意味でも「副」なんです。どっかに違和感を持ちながらやっているんですね。
(DIALOGUEタモリ×佐々木宏「テレビと缶コーヒーは、似ている」)
~同上雑誌P77

誰でも、そしてどんなものでも必ず陽の目を見るもの。
タモリに触発され、コルトレーンの初リーダー作を聴いた。

John Coltrane:Coltrane(1957.5.31録音)

Personnel
John Coltrane (tenor sax)
Johnnie Splawn (trumpet)
Sahib Shihab (baritone sax)
Red Garland (piano)
Mal Waldron (piano)
Paul Chambers (bass)
Al Heath (drums)

ジョン・コルトレーンがまだまだ謙虚だった時代(?)。
確かに後年の極めつけの後光のようなものは差す余地はないが、それでも音楽は常に活き活きし、中庸の音調で聴く者の心に迫る。
人間は胡坐をかいてしまっては終わりなんだとタモリの言を読んで再確認するのだが、やりたい放題やった(できた)コルトレーンは、ある意味どこかで道を踏み外してしまったのかも。
有名なバラード”Violets for Your Furs”が心に沁みる。トレーンのテナーの何という柔らかさ、そして温かさ。
そして、“Bakai”における、ガーランドの軽快なソロに浮かれ、続くトレーンのテナーのソロに痺れる。サヒブ・シアブのバリトンの何という渋さ!!

何だかジャケットに写るコルトレーンが妙にかっこう良い。

 

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