
リヒャルト・シュトラウスとホーフマンスタールの往復書簡が面白い。
一つの作品が完成するまでに、実に丁寧な、時にぶつかり合うほどの猛烈な(?)意見の交換がなされ、それこそアウフヘーベン(止揚)の結果として世紀の傑作が生み出されるのだ。
稀代のコンビたる二人の共同作業の素晴らしさ。
この経緯を知るにつけ、彼らの創造物がいかに人語に落ちないものかが確認できる。
例えば、名作「ばらの騎士」。

第1幕、きのう拝受しました。全く魅惑されている、というほかはありません。本当に比類なく魅力的です。あまりにも繊細で、もしかすると大衆にはいささか繊細過ぎるかもしれません。でもそんなことは構いません。
真ん中の部分(謁見の場面)はうまくまとめるのが容易ではなさそうですが、何とかやれるでしょう。何しろまだ夏いっぱい時間があるのですから。
幕切れのシーン、素晴らしい。油かバターのように滑らかに作曲できるでしょう。きょうすでにちょっとやってみました。早くそこまでいけたらと思うのですが、でも全体の交響的統一のために、前から順に作曲していかねばなりません。今はじっと我慢の時です。
本当にこの幕切れは魅力的です。要するに、あなたは本当に素晴らしい方だ、ということです。
(1909年5月4日付、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~ヴィリー・シュー編/中島悠爾訳「リヒャルト・シュトラウス/ホーフマンスタール 往復書簡全集」(音楽之友社)P51
シュトラウスは全体最適を重視した音楽家であり、もちろんオペラとしての物語の筋にも気を遣った人だった。互いの譲れない主張こそがまた傑作を傑作として伸し上げる力になったのだ。
あなたの第2幕を初めて読んだときから、どうも何かしっくりしない、どこか冴えず、どこか弱く、あるべきドラマの高まりが欠けていると感じていました。きょうになって、ほぼ、何が欠けているのかが分かったのです。提示部としての第1幕、そしてあの内省的な幕切れは素晴らしいものです。ところが第2幕にはこの第1幕とのコントラストとしてぜひともなければならぬもの、そして高揚が欠けているのです。そしてそれは第3幕になってからでは遅すぎるのです。第3幕は、第2幕の高揚をさらに凌駕するものでなければなりません。観客はそこまで待ってはくれないのです。第2幕が冴えないと、それだけでもうオペラは失敗です。いくら見事な第3幕があとに控えていようと、もはや救うことはできません。
(1909年7月9日付、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~同上書P58-59
特にオペラにおいて中間の幕が重要になることを示唆するシュトラウスの主張に膝を打つ。
この後、シュトラウス自身の第2幕に関しての考えが訥々と、そして具体的に展開され、それがまたホーフマンスタールに大いなる刺激をもたらすのである。幾度もの手紙のやりとりの後、ホーフマンスタールは次のように書く。
第2幕をお喜びいただければ、と望んでいます。しかしこのようになりましたのは、何よりもあなたご自身のご示唆のおかげなのです。この作業を通して、私は音楽のためのドラマを書く際の、何か基本的なこと、忘れてはならぬことを学ぶことができたのです。
(1909年8月3日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~同上書P67
何という切磋琢磨!!
コンビの理想的なあり方を教えられる言葉だ。
シュトラウスは賞讃するべきところは賞讃し、問題は問題としてきちんと正すのである。
重ねて申し上げます。第2幕万歳です。全く素晴らしい。ただ一つだけ、二人のイタリア人たちの心変わりは、どのように動機づけられるのでしょうか。どのようにしてオクターヴィアンが彼らを味方につけたのか、男爵が彼らに金を払わなかったこと、などなどは、第3幕の初めに明らかにされるのでしょうか。
(1909年8月9日付、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~同上書P68
もちろん台本作家は相応に考え尽くしての結果なのだ。
観客に支持されるオペラ創作というものの難しさがこういうやりとりからも理解できる。
イタリア人たちの心変わりを、簡単に、手短に動機づけるのは、第3幕でいろいろなやり方がありますので第2幕ではやめておきました。それに、ミュレンから下さったお手紙の中で、あなたご自身が正しく指摘しておられましたように、観客というものはこうした事柄にはきわめて寛容なのです。特にこうした職業的陰謀屋の場合などは。
(1909年8月11日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~同上書P69
その後、第3幕を「切に待ち焦がれる」と書くシュトラウスにホーフマンスタールはこう答えるのである。
あなたが「切に待ち焦がれている」、とお書きになっているのを拝見してびっくり致しました。第一に、もうご自宅にお戻りになり、くつろいでおられるとは思ってもいなかったのです。何しろ、このところ絶えずここかしこと旅行しておられるのをお便りで知ってましたので。そして第二に、あなたのお手元には、すでにあの夕食のシーンと尋問のシーンが届いており、これらはそれぞれまとまった、完結したシーンですので、第1幕のときと同じように、まずはこの部分の仕事からお始めになられるのではないか、と思っていたのです。
(1910年4月27日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~同上書P77
言い訳ではないが、ホーフマンスタールも事情を諭す。
ここでシュトラウスは、自身の創作スタイルにおける「全体観」の重要性を打ち明けるのだ。
第3幕の作曲を始めました。幕切れのところはまだ急ぎません。ただ、私は作曲を始める前に、テキスト全体を充分に研究し、すっかり消化しておきたかったので、少し早めに欲しいと思ったのです。
(1910年5月2日付、シュトラウスからホーフマンスタール宛)
~同上書P77
この月、シュトラウスの母親が亡くなるが、私情を横に置き、「ばらの騎士」の作曲はゆっくりだが続けられる。しばらくしていよいよ幕切れの部分が完成するのだ。
おっしゃるとおり私も、あの叙情的で情緒たっぷりの幕切れは良くできていると思いますし、ふざけた主要部分(食事のシーンと尋問のシーン)も悪くありません。しかし、先日、こうしたもののよく分かる二人の友人に朗読して聞かせてみて、はっきり分かったのです。あのつなぎの中間部分、つまり元帥夫人の登場からオックスの退場までのところは、前回手を入れたのにまだ良くありません。
(1910年6月10日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~同上書P81
これだけの推敲を重ねたオペラが悪かろうはずがない。
物語も音楽も、一部の隙もなく、無駄のない完璧な全貌をもって観客の前に姿を現した。
第3幕の、とろけるような終盤の音楽に僕はいつも感激する。
ちなみに、初演は1911年1月26日、エルンスト・フォン・シューフの指揮の下、ドレスデン宮廷歌劇場にて行われ、大成功を収めた。
1ヶ月をかけて念入りに収録された古き良き名録音を聴く。

カルロス・クライバーの模範であり、「ばらの騎士」の最右翼ともいえる名演奏。
一転に凝縮される高度な集中力と、歌手陣共々、物語の見事な再現は筆舌に尽くし難い。
クライバーが父親のことについて話すときは、畏敬と感動の念がこもる。カルロス・クライバーは自身が指揮するすべてのオペラを父親エーリヒ・クライバーの解釈と比べ、父親の域に達するには、まだまだ多くのことを学ばねばならないと口にする。しかも、その言いようは非常に率直で、てらいは微塵もなく、あらゆる成功を収めているにもかかわらず、自分の価値をわかっていないかのようである。
~アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」(音楽之友社)P66-67
カルロスは結局最後まで父エーリヒを超えることはできなかった。
実際には、充分優れた演奏を残しており、「ばらの騎士」も父親以上の成果だと思うのだけれど。(まるで仮我に左右される)人の思念とは本当にわからないものだ。
(カルロスはもはや生まれ変わっていることだろう)

ところで私たちの共同作業が殆ど終ろうとしております今、私にとりまして、このあなたとの共同作業が、最初の話し合いの時から、最後の手紙に至るまで、折に触れてのまことに貴重なご異議をも含め、大きな喜びでありましたことを申し上げ、心から御礼申し上げたいと思います。そして、これから先も、《エレクトラ》の場合と同様、私は徹底的に背後に身を潜め、この共同作業における私の役割を、必要以上に強調しようとする第三者のいかなる試みに対しても、もちろんきっぱりと拒否の姿勢を保ちたいと思っております。
(1910年7月12日付、ホーフマンスタールからシュトラウス宛)
~ヴィリー・シュー編/中島悠爾訳「リヒャルト・シュトラウス/ホーフマンスタール 往復書簡全集」(音楽之友社)P84
稀代の台本作家のあまりの謙虚さに気が遠くなる。