真冬のニューヨークは滅法寒い。
それでも、いくつもあるジャズ・スポットは著名なプレイヤーが演奏する夜ともなると信じられないほどの長蛇の列ができる。酷寒の中、癒しと刺激を求めて人々は並ぶのである。
「群衆の中の孤独」大都会にあっての疎外感と劣等感。一方で、成功者が勝ちとる達成感、優越感と一体感。様々な人間模様が錯綜する・・・。
クラブの中は実に熱い。壁を隔てた内と外の、この恐るべき対比と、であるがゆえの一体感こそがニューヨークという町の象徴と言えまいか。
僕は、ブロードウェイのほうへ向かって歩きだした。別にどうってわけもなかったけど、ここんとこ何年も行ってなかったんでね。それに僕は、日曜でも店をあけてるレコード屋を見つけたかったんだ。「リトル・シャーリー・ビーンズ」っていうレコード、これを僕はフィービーに買ってやりたかったんだよ。ところが、これがなかなか手に入らないレコードなんだな。前歯が二本ぬけたために、」はずかしがって家から出ようとしない小さな女の子のことを歌ったやつなんだ。ペンシーにいるとき聞いたんだよ。隣りの階にそのレコードを持ってる子がいてね、これはきっとフィービーをうならせると思ったから、そいつに売ってもらおうとしたんだけど、そいつ、売らないんだ。エステル・フレッチャーっていう黒人の女が20年くらい前につくった、とっても古い、すごいレコードだった。
~J.D.サリンジャー著/野崎孝訳「ライ麦畑でつかまえて」(白水Uブックス)P178-179
ここに描かれるのは旧き良きアメリカだ。そして、そこに在る悩める個人の心象風景だ。
このシーンを読むと、僕はジュリアン・キャノンボール・アダレイがニューヨークで初めて録音したというすごい音盤を思い出す。音楽は活気に満ち、終始熱い演奏が繰り広げられる。おそらくこれは誰をもうならせるものだと思う。
キャノンボールのMCにはじまり、最初の曲が”Gemini”。ベース、ピアノ、ドラムスの前奏に乗り、ユセフ・ラティーフがフルートでテーマを吹きはじめるや夢心地。何という愉悦に溢れる旋律であることか。続いてジュリアンのアルトとナットのコルネットが強烈なアドリブを伴って旋律を引き継ぎ、音楽は高揚する。堪らない。
The Canonball Adderley Sextet in New York
Recorded ‘Live’ at the Village Vanguard(1962.1.12&14Live)
Personnel
Julian “Canonball” Adderley (alto sax)
Nat Adderley (cornet)
Yusef Lateef (tenor sax, flute, oboe)
Joe Zawinul (piano)
Sam Jones (bass)
Louis Hayes (drums)
“Planet Earth”中間部の、ザヴィヌルによるピアノ・ソロのかっこ良さ!
そして、何と言っても素晴らしいのはラティーフ作の”Syn-anthesia”。それこそ昔の怪奇映画のBGMなどに使われそうな管による独特の節回しは、ここだけで聴く者を圧倒する。しかしながらより深いのは、中間のラティーフ自身のオーボエによる哀愁溢れる旋律(どこかで似たメロディを聴いたことがあるのだが思い出せない)と、それ以降の絶妙なアンサンブル。
子供はよくやるけど、その子もまっすぐに直線の上でも歩いて行くような歩き方をしてんだな。そして歩きながら、ところどころにハミングを入れて歌を歌ってるんだ。僕は何を歌ってんだろうと思ってそばへ寄って行った。歌ってるのは、あの「ライ麦畑でつかまえて」っていう、あの歌なんだ。声もきれいなかわいい声だったね。べつにわけがあって歌ってんじゃないんだな。ただ、歌ってるんだ。車はビュンビュン通る。キューッキューッとブレーキのかかる音が響く。親たちは子供に目もくれない。そして子供は「ライ麦畑でつかまえて」って歌いながら、縁石のすぐそばを歩いて行く。見ていて僕は胸が霽れるような気がしたな。沈み込んでた気持ちが明るくなったね。
~同上書P179-180
無邪気さは人を元気にする。
おそらく1960年代のヴィレッジ・ヴァンガードにおいても同じような光景が見られたことだろう。そして、同じような「無邪気さ」が演奏する側にも聴く側にもあったことだろう。
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