アンドリュー・リットン指揮東京都交響楽団第790回定期演奏会Bシリーズ

litton_tmso_20150615233暗譜でラフマニノフに臨むアンドリュー・リットン。これほど感情移入し、熱のこもった演奏はほとんど聴いたことがない。ともかく音楽の隅々まで想いが行き渡り、技術的にもまったく問題なく、都響の弦の美しさが際立ち、そして木管群の哀愁を帯びた美しい独奏を交えた完璧な演奏だった。

第1楽章序奏ラルゴの最初の音を聴いて直感した。というより、前半のシェーンベルクの協奏曲を耳にして今夜のラフマニノフは大変な力演になるだろうと想像できたのだけれど。あの波打つ弦の、苦しみや喜びや、あらゆる感情が横溢するラルゴのそれこそ情念の深い音の運びに思わず惹き込まれた。主部アレグロ・モルトに移ってからの躍動感、音楽そのものの輝きも並みではなかった。特に第2主題のあまりの懐かしい響きに思わず心動かされ(そこにずっと浸っていたいと思ったのなんていつ以来だろうか?)、展開部におけるコンサートマスター、矢部達哉さんの何ともエロスに満ちるソロに感嘆した!!(そういえば終楽章の後半に現れる短い独奏も実に美しく素敵だった)
弾けるコーダの躍動感に想う。なるほど、ラフマニノフが規範にしたのはシューベルトの歌であり、シューマンの狂気の熱だったのかと。
第2楽章アレグロ・モルト冒頭の炸裂も忘れられない。音楽の勢いは衰えず、肯定感に満ち、前進する。冒頭ホルンの主題の力強さとそれを支える管弦楽の自然体に都響の力量を見た。そして、第3楽章アダージョの、夢見るような愛情と憧憬の発露。弦楽器は泣き、うねり、クラリネットがあまりに美しい旋律を朗々と吹き鳴らした時、思わず涙が出そうになった。メロディメイカー、ラフマニノフの面目躍如たる瞬間がここにあったが、それ以上にリットンの再現能力の素晴らしさに膝を打った。
さらに、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの決してうるさすぎない賑やかさと、狂喜乱舞の沙汰に驚嘆。コーダに向かっての突進と解放と・・・。夢心地の1時間と少しがあっという間に思われた。素晴らしい作品の素晴らしい演奏に聴衆の感激、感動のボルテージは最高潮に・・・。出逢えて良かった。

東京都交響楽団第790回定期演奏会Bシリーズ
2015年6月15日(月)19時開演
サントリーホール
ウィリアム・ウォルフラム(ピアノ)
矢部達哉(コンサートマスター)
アンドリュー・リットン指揮東京都交響楽団
・シェーンベルク:ピアノ協奏曲作品42
休憩
・ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調作品27

同じ20世紀の作品でありながら、そして、革命や戦争の難を逃れ合衆国に移住し、晩年を過ごしたという経歴を持ちながら、あまりに異なる作風を持つ2人の作曲家を同時にプログラムに載せるという妙。
浪漫溢れる前時代的ラフマニノフの音楽に対し、シェーンベルクは革新的であるが、しかし、そこには分断された世界を音楽で何とか統一しようという意志に満ちていた。単一楽章のピアノ協奏曲は作曲者のいわば「平和への祈り」だ。
例えば、第1部アンダンテ冒頭の独奏ピアノの可憐さはベートーヴェンの第4協奏曲のそれに通ずるように思った。何という柔らかで清らかな愛。楽譜を見ながら演奏する大男ウォルフラムによって紡がれる極めて女性的な美しい音色。第2部モルト・アレグロの短い爆発も決して大味にならず、繊細な調べ。そして、第3部アダージョに出るカデンツァの煌めきにシェーンベルクの愛を想い、第4部ジョコーソ最後のいかにも唐突に幕を下ろす瞬間のカタルシスに感銘を受けた。

音を観る恍惚感とでも表現しようか。
音楽こそは単に聴くものでなく、観るものだと痛感した一夜。感謝、感激、雨霰。

 

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