棚の奥に1枚のCDシングルが転がっていた。何故このCDを買ったのか全く記憶がない。
「パパの歌」(作詞:糸井重里、作曲:忌野清志郎)
家の中では トドみたいでさ ゴロゴロしてて あくびして
時々プーっと やらかして 新聞みながら ビールのむ
だけどよ 昼間のパパは ちょっとちがう
昼間のパパは 光ってる 昼間のパパは いい汗かいてる
昼間のパパは 男だぜ(カックィー)
忌野清志郎が亡くなった。世の中は大変な騒ぎになっている。それくらい「ロック」音楽の世界で、世代を超えて影響を与え続けて来た人なのだろう。坂本龍一とのコラボである「いけないルージュ・マジック」以外、僕は彼の音楽を知らない。もちろんRCサクセションにはまった時期もない。ただ、かれこれ20年近く前、プーランクの「ぞうのババール」を清志郎の語りで高橋アキがピアノを弾いたアルバムを清志郎ファンだという女性の誕生日プレゼントに贈った記憶が微かにあるのみだ(そのことは今思い出した)。よって多くは語れない。
それにしても「癌」を患って亡くなる人がここのところ増えている。もちろん、心筋梗塞や脳出血などとあわせて三大疾病といわれる病だから、致しかたないといえばそうだが、いずれも生活習慣病のようなもので、日頃の食生活や睡眠、あるいはなるべくストレスのない生活を心がけるようにすれば随分そういうリスクは回避できるのではないのかとも思える。人間は食べなきゃ生きていけない、あるいは食べないと精がつかないとずっと教わってきたが果たして本当にそうなのか?僕は元々間食の癖はないが、日々なるべく余計なものを胃に入れないように心がけている。それと、食事は腹八分目。眠ることもそう、食べることもそう、過剰になると余分なエネルギーを使い、かえって疲れる。身体を労わるという意味では「休肝日」だけでなく、胃腸を休める日があってもいいのではないかと考え、今年になってから月に2日ほど「断食」をし始めたが、すこぶる調子は良い。おススメである。
雨降る中、打ち合わせのため渋谷を2往復した。帰宅後、ふと1993年に突如「癌」で逝った名ソプラノ歌手を思い出し、徐に音盤を取り出した。
昨年、1973年のカルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場による「ばらの騎士」が突然発売されたゆえ、価値は半減されたかもしれないが、それでもその前年72年の公演を収録したこの音盤の価値は計り知れない。それにまた「ばらの騎士」の他、モーツァルトやベートーヴェンの歌劇での名唱も聴けるのだから。
僕は、残念ながら実演では触れることができなかったのだが、1980年のカール・ベーム最後の来日での「フィガロ」のスザンナ役での映像がはっきりと思い出される。まだクラシック音楽を聴きはじめの頃に受けたベームの、そしてモーツァルトの洗礼。今は亡きヘルマン・プライやアグネス・バルツァの可憐な姿も懐かしい(雅之さんはその実演を体験されているということだ、羨ましい)。
こんばんは。
忌野清志郎さん、逝くのが早過ぎましたね。残念で堪りません。
以前岡本さんのブログにも、忌野清志郎さんの歌に絡めたコメントを書かせていただいたことがありましたね。
http://opus-3.net/blog/archives/2008/12/post-504/#comments
その時には、こんなことになるとは思ってもみませんでした。
ルチア・ポップ、大ファンだったので、何から書いていいのかわかりません。とにかく亡くなった時はショックでした。彼女も早過ぎました。ご紹介のCD、持っていないんですが、購入して聴きたいです。
「癌」で逝ったといえば、大好きだった指揮者のテンシュテットも思い出します。彼のライヴも、一度ロンドン・フィルとの来日公演(1988年、 ワーグナー・管弦楽曲のプログラム)を聴きましたが、セッション録音とはまるで違う、乗りに乗ったテンションの高い超名演でした。私は彼にこそベルリン・フィルの芸術監督になって欲しかったのですが・・・。
今夜は、テンシュテットとポップが共演したライヴ録音の、ブラームス「ドイツ・レクイエム」の超名演を聴きながら、惜しくも「癌」で亡くなられた音楽家を偲び、ご冥福をお祈りしましょうか。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2715359
>雅之様
そういえばディランの時のコメントで清志郎のこと書かれてましたね。今思い出しました。そうですね、ほんとにこんなに早いとは思ってもみなかったですね。
雅之さんはテンシュテットの来日公演聴かれているんですね!さぞかし素晴らしかったでしょうね。テンシュテットもライブの人だと思います。確かにベルリン・フィルの芸術監督になっていれば凄かったですね。ポップ同様死が早すぎました。
テンシュテットの「ドイツ・レクイエム」は未聴ですが、これは大変な名演でしょうね!想像できます。嗚呼聴きたい。
こんばんわ。J-POPになるとコメントしたくなるほんだです。
忌野清志郎さん、私も好きでした。全然詳しくないけど(笑)。
印象的なのは、「DAYDREAM BELIEVER」の日本語訳詞です。直訳ではなく、原曲の良さをひとつも失わず、かつ日本語の詩としてとても素敵で大好きでした。
それと、トップランナーだったかな?「人生は大人になった方が楽しい。子供に戻りたいって言う人がいるけど、僕は本当に楽しいのは大人になってからの楽しさだと思う。」というようなことを話していらっしゃいました。いろんな意味に受け取れますけど、かなり真面目に話していたので、当時10代後半の私に、大人に対しての絶望ではなく、希望を与えてくれたような気がして、なんだかよくわからないけど感動したのを覚えています。今でも時々思い出す言葉です。
>ほんだぱん
こんばんは。そうか、やっぱり清志郎好きだったんだ!
「Daydream Believer」の清志郎バージョンは聴いてないけど、興味深いね。聴いてみよう。
>「人生は大人になった方が楽しい。子供に戻りたいって言う人がいるけど、僕は本当に楽しいのは大人になってからの楽しさだと思う。」
うん、清志郎らしいです。こういう達観した人は早く亡くなってしまうものなんだよね。
[…] 数年前、忌野清志郎さんが亡くなった時、追悼の意味も込めてどうしても聴きたい音盤があった。バブルの頃、リリースされた時からの愛聴盤で、音楽物語となっていたその作品は最高の出来で、当時友人たちに、誕生日やお祝いや、ことあるごとにプレゼントさせていただいていた、そういう代物だった。ところが、どういうわけか、そんなこんなで僕の手元には1枚もない状態で、しばらくすると廃盤になったものだから、以来聴く術がまったくなかった。 で、清志郎さんが亡くなってふとその録音の存在を久しぶりに思い出し、「どうしても・・・」という気になったのだけれど、その時はもうどうしようもなかった。(やっぱりいつ何時聴きたくなるかわからないから不要なような音盤も手元に置いておくべきだなと確信した。ゆえに映像含めた音盤は明らかにもう何年も聴いていないのに捨てることもできない売ることもできないという状態が続く・・・苦笑) […]