ゲルギエフ指揮東京交響楽団「チェスキーナ・永江洋子メモリアルコンサート」

yoko_ceschina_memorial_concert_20150805287感謝の詰まった音楽の力は真に大きい。
音楽が、人間が創り出したもので、そして人間を媒介に奏でられるものであることを、さらにそこにはあらゆる想念が刻まれるものだということをあらためて思い知らされた素晴らしいひと時だった。

縁(ゆかり)ある方々によって語られたチェスキーナ洋子さんにまつわる興味深い数々のエピソードに聴き入った。
ワレリー・ゲルギエフが、30分近くにわたって披露したスピーチは故人への想いと感謝に溢れ、本当に素晴らしいものだった。中でも、2011年のチャイコフスキー国際コンクールの覇者であるダニール・トリフォノフが、コンクールがスタートする前に優勝を勝ちとることを見抜いていたという洋子さんの慧眼に、人生において良いものを見ること、そして聴くことがいかに大事かを思った。

チェスキーナ・永江洋子メモリアルコンサート
2015年8月5日(水)19時開演
サントリーホール
第1部/追悼の言葉
休憩
第2部/追悼演奏
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
ワレリー・ゲルギエフ指揮東京交響楽団
大谷康子(コンサートマスター)

「悲愴」交響曲は、こういう場に実に相応しい音楽。
「追悼」と名が付くとおり、音楽は終始哀しみの叫びをあげ、同時に安らかな祈りを捧げる。指揮者も演奏者もチャイコフスキーの魂と呼応し有機的で壮絶な音楽を奏でた。そしてまるでそれと一体化するかのように聴衆も音楽に聴き入った。

第1楽章序奏アダージョの、低弦が泣き、ファゴットが呻くように呟く冒頭から痺れた。例によって両手を震わせながら指揮をするマエストロ・ゲルギエフの孤高の世界の現出。主部アレグロ・ノン・トロッポに入っての苦悩の表現はあまりに激烈。さらに、(濃密な)第2主題直前のパウゼの、何とも表現し難い間の良さ!展開部直前のファゴットのppppppが、慣例どおりバス・クラリネットに置き換えられていたことは残念ながらも、展開部アレグロ・ヴィーヴォの圧倒的迫力に度肝を抜かれ、音楽が一層勢いづき、飛翔する様に目を瞠った。
また、第2楽章アレグロ・コン・グラツィアは、優雅で流れも良く、悲哀の中に映る一瞬の愉悦のように響いた。そして、第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの、雄渾な行進曲は、オーケストラの多少の乱れはあったものの実に躍動的に奏でられた。
さらには、終楽章アダージョ・ラメントーソの、何という嘆き!!
クライマックスに昇り詰める手間のカタルシス。そして、思わず興奮する太鼓やシンバルの意味深い打撃。すべてがマエストロの頻繁な気合いの呼気に、奏者も魔法にかかった如く一層の愛と勇気に溢れた音楽として昇華した。
ジャーナリストで元NHKモスクワ支局長の小林和男さんの追悼の言葉にもあったように、なるほど、確かにこれは「ゲルギエフ・マジック」だ。

音楽が終わった後の2分以上にも及ぶ黙祷。
オーケストラが最後にはける際に多少の拍手はあったものの、静かに本日の公演の幕が下りた。
言葉に言い表せない感動。聴衆には涙する者もあった。

 

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