第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭から嬉々とした音楽は、いかにもベートーヴェン的ではないけれど、尊敬すべき師ハイドンやモーツァルトの影響下にありながら自分の個性を飛翔させるべく目論んだ佳品だ。
ヘンデルとバッハとグルックとモーツァルトとハイドンの肖像を私は自分の部屋に置いている。それらは私の忍耐力を強めてくれる。
(1815年「ベートーヴェンの手記」より)
~ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P169
天才を敬う想いこそが、あらたな天才の発掘につながるもの。諦めないことだ。
20代前半のベートーヴェンの生み出した6楽章の長大なディヴェルティメントは、相変わらず冗長のきらいがあるが、若き楽聖の気概が十分に刻印され、とても3つの弦楽器で奏されているとは思えない音の厚みを持つ。
ベートーヴェンは、この後、1798年までに作品8、作品9という4つのトリオを最後に、もはや生涯このジャンルに手を付けることがなかったが、やはり4つの弦楽器のアンサンブルに比して「親和力」が弱いと感じたからかどうなのか、四重奏曲同様ずっと書き続けてくれていたらどれほどの名作が生まれ得たことだろうと残念に思う。
1927年の、ウィーンの「ベートーヴェン記念祭」での講演でロマン・ロランはベートーヴェンの次の言葉を紹介する。
「他人のために働きうることは、子供の頃から私の最大な幸福であり楽しみであった」(1824年)
「哀れな悩める人類に役立ちたいと思う私の熱意は、子供の時以来、少しも薄らいだことはない」(1811年)
他の場合に彼はまた、「未来の人類に」役立つこと(1815年)ともいっている。
~同上書P160
子どもの頃からの千里眼とでもいうのか、ベートーヴェンは時空を超え世界を救うために生まれてきたその名の通りの「楽聖」なのだろう。
弦楽三重奏曲変ホ長調作品3も実に神々しい。
ベートーヴェン:
・弦楽三重奏曲変ホ長調作品3
・弦楽三重奏のためのセレナーデニ長調作品8
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ブルーノ・ジュランナ(ヴィオラ)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)(1988.1録音)
第4楽章アダージョの、緩やかで夢見るような旋律に涙。
深みのあるロストロポーヴィチのチェロを軸に、若きムターがジュランナと繰り広げる二重奏とでも表現しよう。いつの間にか3つの楽器が渾然一体となるシーンに感動。
第5楽章メヌエット・モデラートの雅な愛らしさ。ここにあるのは希望の光。そして、終楽章アレグロの溌剌たる勢いは、当時のベートーヴェンの心奥を表すもので、それを見事に表現し切る3人(ムター、ジュランナ、ロストロポーヴィチ)のにわか仕立てとは思えぬ完璧なアンサンブルに舌を巻く。
ニ長調作品8は、行進曲である第1楽章アレグロからどこかブラームスの匂い・・・(もちろんブラームスが影響を受けているのだけれど)。
愉快である。
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