エリック・ハイドシェックのベートーヴェン作品2を聴いて思ふ

beethoven_sonatas_heidsieck299森の中の全能者よ!森にいて私は幸福である。一つ一つの樹が(神よ)おんみを通じて語る。おお、神よ、何たるすばらしさ!この森の高いところに静かさがある―神に仕える静かさが。
(1815年「ベートーヴェンの手記」より)
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P172

ベートーヴェンはいつの時代も、どんな時も光と翳の両方を捉える。
大自然とのつながりを求め、森の安寧から、そして樹々の木漏れ日からインスピレーションを得たその作品は真に神々しい。

ほぼ同時に創作され、ハイドンに捧げられたヘ短調作品2-1とハ長調作品2-3は、例によって正反対の性質はベートーヴェンの常套であり、既に後年の楽聖ならではの天才を獲得する。

ハ長調ソナタ第1楽章アレグロ・コン・ブリオの雄渾かつ見事な飛翔!!ここはエリック・ハイドシェックの緻密な指使いと天才的ひらめきの勝利。若きベートーヴェンの光が炸裂する。第2楽章アダージョのゆったりとした囁き、特に主題が長調から短調へと移ろう(「月光」ソナタにも通じる)妙味はハイドシェックならでは。哀しくも美しい・・・。

ここで「ジャン・クリストフ」をひもとく。

私は夢想する時、常に自分の感じてることだけを表白しはしない。私は言葉にそれと言わないで、苦しんだり喜んだりする。しかし、それを言わないではおられない瞬間も、別になんの考えもなく歌わないではおられない瞬間も、やってくる。時としては、ぼんやりした言葉、取り留めもない文句、にすぎないこともある。時としては、まとまった詩のこともある。それからまた、私はまた夢想を始める。そういうふうにして一日は過ぎ去る。そして実際、私が表現しようと思ったのは、一日をである。何故に、歌あるいは前奏曲ばかりを集めるのか?それほど不自然で不調和なものはない。魂の自由な動作を伝えようとつとめなければいけない。
ロマン・ロラン作/豊島与志雄訳「ジャン・クリストフ」第3巻(岩波文庫)P199-200

ベートーヴェンも(?)クリストフ同様「一日」を表現しようとしていたのではなかろうか。ロマン・ロランの読みの深さなり。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品2-1
・ピアノ・ソナタ第2番イ長調作品2-2
・ピアノ・ソナタ第3番ハ長調作品2-3
エリック・ハイドシェック(ピアノ)

ヘ長調作品2-1に、若きベートーヴェンの老練の陰翳を想像する。例えば、15歳の時に書いたという第2楽章アダージョ主題の素朴さ、そしてコーダのニュアンス豊かな音色に心動く。第3楽章メヌエットを経て、終楽章プレスティッシモは、いかにもベートーヴェン的な激しくも喜びに溢れた音楽。
そして、イ長調作品2-2第2楽章ラルゴ・アパッショナートの静けさと優美さ。
ベートーヴェンは森の中で何を想うのか?

若きハイドシェックのこの全集は、賛否両論の感があるが、僕は賛同派。
なぜなら、ハイドシェックの音楽はいつの時代もハイドシェックの音楽だから。音楽が常に生き、エネルギーがほとばしり、光と翳の対比、繊細さ、ニュアンスの妙は他のどんなピアニストにもない驚きを与えてくれる。

 

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