カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルのR.シュトラウス「英雄の生涯」ほかを聴いて思ふ

wagner_r_strauss_c_kleiber323世界は、若い時に誰に逢うかによって決まる。
リヒャルト・シュトラウスの「ハンス・フォン・ビューローの思い出」と題する小論には次のようにある。
興味深いのは、シュトラウスにとって、フランツ・リストの娘であるコジマの最初の夫であり、そしてリヒャルト・ワーグナーに妻をとられた男でもあるハンス・フォン・ビューローから大いなる影響を受けたことを告白していること。

私にたいする彼の、ほろりとさせるような好意、私の芸術上の能力発展のための彼の影響は、私の善良な父親にとっては苦痛なことであったが、私をヴァグネリアンにしてくれたアレクサンダー・リッターの友情を除けば、私の生涯におけるもっとも効果のある動因であった。
ヘルタ・ブラウコップ編著/塚越敏訳「マーラーとシュトラウスある世紀末の対話―往復書簡集1888-1911」(音楽之友社)P221

19世紀後半のヨーロッパ音楽界において、ビューローこそが鍵を握る人物でなかったか。
なるほど彼は自らのワーグナー体験の反作用としてブラームスの友人となり、その擁護者となった人である。
シュトラウスの幸運は、保守的古典主義者の父を持ったことと、ワーグナー開眼の道を開いてくれた友人リッターがあったこと。同時にワーグナー崇拝者でもあり、後にブラームス派に転じたビューローを師として迎えることができたことにあった。
リヒャルト・シュトラウスの生み出した交響詩や楽劇は、それこそ保守と革新の綴れ織り。

ちなみに、作曲家ベルナルト・シャルリットとの対話の中でグスタフ・マーラーはシュトラウスとの接点について次のように答えたという。

つまり、私ども二人は、音楽家として、いわば潜在的な音楽をニーチェの強烈な作品のなかで感じとってみようとしたのですよ。
~同上書P231

シュトラウスは、同じく親ワーグナー派から反ワーグナー派に転じたニーチェの作品に決してとらわれることなく、そこに音楽を読み取り「ツァラトゥストラ」を完成させた後、交響詩の完結編たる「英雄の生涯」を創造した。

・R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1993.5.16Live)
・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」~第1幕前奏曲とイゾルデの愛の死
カタリーナ・リゲンツァ(イゾルデ、ソプラノ)
カルロス・クライバー指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1976.7.30Live)

クロアチアのDUMKAなるレーベルの、いわゆる海賊盤。
20年以上前にソニーからリリースの広告まで出たものの、直後に指揮者本人から差し止めされて世に出なかった「英雄の生涯」。
何よりカルロス・クライバーならではの流麗な音楽の語り口と絶妙な音量コントロールが聴きもの。特に、シュトラウス自身の過去の作品の断片が絡み合う第5部「英雄の業績」における表現の妙。続く第6部「英雄の引退と完成」での、イングリッシュホルンの柔和で懐かしい響きとそれを支える弦楽器の古式蒼然たる美しさはウィーン・フィルならでは。

とはいえ一層素晴らしいのは、カルロス最後のバイロイト出演となった1976年の「トリスタン」ライブ!!ドレスデンのスタジオ録音盤を明らかに凌駕する極めて動的で妖艶、音が煌めき、呼吸も深く、これこそカルロス・クライバーの真骨頂という名演奏。
第1幕前奏曲の、濃厚なうねりと音の強弱という空間感覚の見事さ。同時に、哀感と愉悦、憧憬と色香が巧みに錯綜する時間感覚の素晴らしさ。頂点に向けて悶え行く強烈な音楽は、おそらくその場の聴衆を圧倒したはず。
そして、リゲンツァによる「イゾルデの愛の死」の、死に向かい愛によって魂がひとつとなるその様を情感豊かに表現した一世一代の名唱!!

みなさん!ごらんになって!
みなさんには分からないの?
この調べが聞こえているのは
わたしだけかしら?
しめやかな
妙なる音色で
歓びを嘆き、
すべてを語り、
おだやかに宥める調子で
あのひとから出た響きは
わたしをみたし、
天翔る勢いで
朗々と響きながら
いちめんに鳴り渡る。
日本ワーグナー協会監修/三光長治/高辻知義/三宅幸夫監訳「トリスタンとイゾルデ」(白水社)P139

静かに消えゆく後奏に在るイゾルデの浄化!!
ここでのリゲンツァは、そしてクライバーは、間違いなくワーグナーのドラマを直接に感じる彼の使徒と化している。
願わくば、この稀代の名演奏の全曲を聴きたい。

つまりドラマは、それが生に由来するがごとく格別の関係において生に帰属し、個々の場所と時間と状況の特性に応じて独自の現れ方をするので、そのドラマを理解して享受するには、反省的悟性ではなく、直接的に把握する感情が必要なのである。結局のところ、こうした理解が可能となるのは、もともと感情を通じて理解しうる内容が、それにふさわしい現れ方の中で感覚器官に伝達表明される場合だけである。
(「友人たちへの伝言」1851年)
ワーグナー著/三光長治訳「友人たちへの伝言」(法政大学出版局)P265

 

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