イアン・ボストリッジのヴォルフ「メーリケ歌曲集」(2005.9録音)を聴いて思ふ

wolf_lieder_bostridge324以前、熊本マリさんが生涯でたった一度だけグレン・グールドに直接出逢い、自分の演奏を聴いてほしいと直談判したというエピソードを紹介したときに思ったこと。何という勇気と行動力!!

何より後日になっての、グールドの秘書からかかってきた電話による彼女への伝言がとてもグールドらしく、しかもそれが実に的を射ていて、なるほどその通りだと感心した。
グレン・グールド曰く、「誰かの演奏を判断する資格は、自分にはありません。仮に私があなたに対して、才能の有無を評価したところで、それがいったいどんな意味をもつでしょう。あなたの将来はあなたがつくるものなのです。自分の才能というものは、あなた自身が一番よく知るべきことなのです。自分自身を信じ、自分の才能を自ら伸ばしてください」と。

同様のことが、かつてフーゴー・ヴォルフの身の上にもあった。
それは1875年12月12日のこと。15歳の少年ヴォルフが尊敬するリヒャルト・ワーグナーに会い、自作(おそらく数編のピアノ曲だといわれる)を見てほしいと懇願したときのワーグナーの言葉の的確さ、そして意味深さ。ヴォルフが当時両親に認めた手紙にその時の状況が詳しく書かれている。

巨匠は、私の言葉を遮って言った。「坊や、私には、あなたの作品についてどんな判断も下せない。今は本当に時間が無いのだ。(中略)私には、音楽のことは全くわからない」そこで、私は音楽に才能があるかどうか、それなりのことができるかどうか、教えて欲しいと巨匠に頼みました。彼は言いました。「私が今のあなたと同じくらい若くて作曲をしていた頃、私が音楽で出世できるかなんて、誰にも言えなかった」。(中略)それで私は巨匠に、古典を手本としていると述べたところ、彼は言いました。「そうだね、それは正しい、誰もがすぐ独創的なことができるわけではない」。(そこで彼は笑いました。)最後に彼は言いました。「友よ、私はあなたの人生にたくさんの幸運を願おう。勤勉に学び続けなさい。そして、また私がウィーンに来たら、あなたの作品を見せて下さい」。
~梅林郁子著「フーゴー・ヴォルフの音楽批評文における《ローエングリン》」(鹿児島大学リポジトリ)P90-91

自らを信じよと。そして、ともかく勤勉であれと。
ワーグナーとのこの邂逅は、ヴォルフ少年に大きな衝撃を与えたことだろう。そして彼は、巨匠の言うようにとにかく音楽に精進した。ワーグナーがヴォルフに与えた力は真に大きい。
しかしながら、残念なことにヴォルフには「我関せず」的図太さが欠けていたようだ。彼が独創性を発揮すればずるほど、当然ながら大衆は離れていった(というよりもともとついて来れなかった)。そして、周囲の批判に彼はみるみる心を閉ざしてゆく。

幼い頃から人一倍傷つきやすく、そのことは大人になっても変わらなかった。
それゆえに、彼の作品はどれも暗鬱たる表情を秘め、痛々しく美しい。
イアン・ボストリッジの歌う「メーリケ歌曲集」。

ヴォルフ:アイヒェンドルフ歌曲集
・楽士
・寡黙の愛
・セレナード
・夜の魔法
・海の男の別れ
ヴォルフ:メーリケ歌曲集
・療養者が希望によせて
・少年とミツバチ
・出逢い
・恋は飽くことを知らぬもの
・隠遁
・春に
・旅路にて
・真夜中に
・一枚の古い絵に
・祈り
・眠りに
・恋人に
・恋い焦がれる男の歌
・ペレグリーナⅠ
・ペレグリーナⅡ
・狩人
・お別れ
ヴォルフ:ゲーテ歌曲集
・良い夫と良い妻
・ガニュメート
イアン・ボストリッジ(テノール)
アントニオ・パッパーノ(ピアノ)(2005.9.26-29録音)

ボストリッジの、いかにも傷ついた人々に同調し彼らを救うかのような表情豊かな歌唱に心動く。
時にか弱く麗らかで、時に堂々と直接的に。心の襞の微妙な変化を歌唱で巧みに伝えることのできる腕前は現代随一でなかろうか。
メーリケの引き籠った歌詞が、そしてヴォルフのくぐもった暗く革命的な音楽が澄んで明るく、その上健康的に聴こえるのは僕だけか。

愛する人よ、なぜわたしは今急に
溢れる涙と共にお前を思うのか

ペレグリーナへの諦め切れぬ想いをボストリッジは心を込めて、そして丁寧に歌う。
最後のフレーズでの慟哭はボストリッジの天才。

ついにわたしは声をあげて泣き始め
ふたりは手を取りあって家を出た

何より彼の歌唱を支えるアントニオ・パッパーノの夢見るような繊細なピアノに恍惚。本当に上手い!!この人のピアノ伴奏を聴くだけでも価値ある録音。

※太字エドゥアルト・メーリケの歌詞は梅丘歌曲会館「詩と音楽」から引用させていただきました。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください