詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。
「序」
~萩原朔太郎「月に吠える」(角川文庫)
正月の夢。
新ウィーン楽派、中でもアルバン・ベルクの方法は、地に足の着いた古典的手法に根差しつつ、独自の数秘的・頭脳的センスを盛り込んだもの。ベルクの作品には人類最高峰の知性が刻印される。
例えば、モーツァルトやシューベルトの音楽に見る無垢で純白な音調は、知性と感性の均衡美。ベルクは、連綿と続く音楽史の傑作を一旦解体し、そして、そこに師アルノルト・シェーンベルクから吸収したすべてを注ぎ込み、孤高の世界を創造したのではなかったか。
なるほど、かの古典音楽が西洋音楽世界を照らす太陽だとするならば、その光によって照らされる輝く月だったともいえる。表面の、妖しく澄んだ音色と、裏側にある人間心理の深層に潜む不安や怖れを呼び覚ます魔性。20世紀の新しい音楽は、いわば知的狂気であり、ひとたびその魅力にとりつかれたら一生その陰から逃れることができない。
ここにあるのは死への憧れか、それとも生への絶望か。
否、ここにあるのは生と死を超越する愛。
アルバン・ベルクの音楽にあるエロスとタナトス。
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
「悲しい月夜」
~同上書
嗚呼、何と色気ある負の美学。
アルバン・ベルク・コレクション
・弦楽四重奏のための抒情組曲(1926)(1968.12録音)
・弦楽四重奏曲作品3(1910)(1968.3録音)
ラサール弦楽四重奏団
・7つの初期の歌曲(1907-08)(1991.12録音)
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メゾソプラノ)
ベンクト・フォシュベリ(ピアノ)
・歌曲「私の両眼を閉じてください」(第1版)(1907)(1984.8録音)
・歌曲「ロイコンに」(1908)(1984.8録音)
・歌曲「私の両眼を閉じてください」(第2版)(1925)(1984.8録音)
マーガレット・マーシャル(ソプラノ)
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)
・4つの歌曲作品2(1909-10)(1970.10録音)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
アリベルト・レイマン(ピアノ)
フォン・オッターの低く味わい深い声が、ベルクの初期の歌曲の美しさを一層強調する。そして、マーガレット・マーシャルの、まるで悶絶の叫びのような歌に怖れを抱く。ここにはベルクの霊魂が宿る。
さらに、フィッシャー=ディースカウによる「4つの歌曲」の暗い叙情。第1曲「眠ること、眠ること、ただ眠ること」は、「冬の旅」第1曲「おやすみ」の如くの優しい調べ。また、第2曲「眠り込んだ私は」の幻想と、第3曲「私は一番強い巨人に打ち勝ち」での現実の見事な対比。さらに、終曲「風は暖かく、日当たりのよい牧場に下草が萌える」の、ディースカウの声音を縦横に操る妙なる音楽。レイマンのピアノ伴奏が美しい。
はげしいむし歯のいたみから、
ふくれあがつた頬つぺたをかかへながら、
わたしは棗の木の下を掘つてゐた、
なにかの草の種を蒔かうとして、
きやしやの指を泥だらけにしながら、
つめたい地べたを堀つくりかへした、
ああ、わたしはそれをおぼえてゐる、
うすらさむい日のくれがたに、
まあたらしい穴の下で、
ちろ、ちろ、とみみずがうごいてゐた、
そのとき低い建物のうしろから、
まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた、
月があがつた。
「白い月」
~同上書
アルバン・ベルクの真っ白な狂気に僕は愛を感じる。
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