モーツァルトの初期弦楽四重奏曲

mozart_quartet_hagen.jpg日々日記のようなつもりでブログを書き始めて1年半が経過するが、過去の記事をたまに振り返ってみてみると面白い発見がある。ブログそのものに対する捉え方が、初期の頃はあくまで「自分が日常で感じたことや思ったこと、あるいは体験したこと」を漫然と書きながらその日に聴いた音楽のことと多少絡めながら書いていたように思うのだが、いつの頃からかブログを見ていただいているだろう不特定多数の方々(といっても1日あたり100人くらいの閲覧数なので全く話にならないのだが)を意識して、「人間教育」にこれまで懸けてきた「想い」や「気づき」を中心に僕なりの「考え」を少しずつお伝えしたいという気持ちが強くなり、ついつい文章量が増えてしまっている。
これはひょっとすると不評かもしれないので(読みにくいという意味で)、もう少し頭を整理し、簡潔明瞭にポイントを絞って書くことを心がけよう。

朝から打合せ等で外出し、帰宅したのが14:00頃。昨日に引き続きモーツァルト漬け。カール・ベーム&ベルリン・フィルの交響曲集Boxセットから第31番ニ長調K.297「パリ」以降の交響曲を通しで聴き、ハーゲン四重奏団による「初期弦楽四重奏曲集」を順番に聴く。どこの時代を切り取ってもモーツァルトはモーツァルト。人間の持つ翳の部分、「弱み」さえも赤裸々に表現し、そしてその表現がことごとく「的を得ている」という意味で、「人間らしさ」、そしてその「不完全さ」の中に見る「美しさ」をこれほどまでに完璧に表現できた音楽家はモーツァルトの他にいまい。
人間というのは本来存在そのものが美しいものなのだとモーツァルトを聴いて再確認する。決して卑下することなかれ。あなたはあなたのままでいいのです。

人間の不完全さを受容しなければ創造し得なかった音楽。
聴けば聴くほど、味わえば味わい尽くすほど、滋味掬すべき作品の数々。

モーツァルト:初期弦楽四重奏曲集
ディヴェルティメント第1番K.136~第3番K.138&弦楽四重奏曲第1番K.80~第13番K.173
ハーゲン四重奏団

モーツァルトの弦楽四重奏曲は第14番以降の楽曲(いわゆる「ハイドン・セット」や「プロシャ王セット」など)がことのほか有名だ。おそらく初期のものはほとんど演奏機会をもたないのではないかと思われるほど、巷の演奏会プログラムで取り上げられるのを見た記憶がない。そのほとんどが1770年代の初頭、つまりモーツァルトが10代後半の頃の作品で、こうやって並べて一気に聴いてみると、これはこれでとても味わい深い「青春のモーツァルト」の片鱗がところどころに垣間見られる。
モーツァルトはどんなに悲しいときも明るい音楽を書いたように時には誤解される。しかし、僕はそれは違うと思う。明るさの中に秘められた、聴いていて時に哀しくなるほどの楽想の明滅がすでに少年時代からあったことがこういう音盤を聴いて想像できるところができるところが貴重だ。

本日は満月なり。黄昏時、明治通りを歩いていてふと空を見上げたら立派な月。昨晩は就寝前に処方していただいたレメディを一つ、そして今朝起き抜けにもう一つ。果たして経過やいかに・・・。また長くなった。失礼m(_ _)m

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