ところで、芸術家ワーグナーは好きだと称しながら、人間ワーグナーには共感しかねると思っている連中を、私は自分の友人とは見なしていない。芸術家を人間から切り離すことは、魂を肉体から分離するのと同じく無思慮なことである。また芸術家が―少なくとも無意識的かつ恣意を超えて―人間としても愛されることがなく、その芸術によって彼の生き方が理解されることもなかったなら、芸術家というものはけっして愛されないし、その芸術が理解されることもなかったことは間違いない。
~ワーグナー著/三光長治訳「友人たちへの伝言」(法政大学出版局)P255-256
このあたりの自己中心的、傲慢な姿勢こそワーグナーという人間の特長のひとつであるのだが、一方で、群を抜く一流の芸術家たちが、潜在的な意識を使い創造行為を行っているのだということもこの文章から理解することは容易だ。裏返せば、神懸かり的作品の創造には、いわゆる人間世界の道徳的規範など邪魔なものであり、色恋沙汰含め、自分には好き勝手やらせろとワーグナーは咆えるのである。
その後の、マティルデ・ヴェーゼンドンク夫人との邂逅、そして不倫・・・。
しかしながら、その事件のお蔭で、「トリスタンとイゾルデ」なる傑作が生まれる。
その「トリスタンとイゾルデ」の習作として位置づけられるのが、マティルデの詩に曲を付した「ヴェーゼンドンク歌曲集」。この音楽の何という(枯れた!)エロス!!何という生きることへの衝動!!!
現在の生衝動を認識するには、その衝動を実現しなければならない。そして現在の生衝動の活動は、まさに未来をあらかじめ規定することにおいて現れる。しかも過去のメカニズムに依存した規定などではなく、いついかなるときも自由で自発的に生の内側から形成される規定においてである。こうした活動が、記念碑的なものを根絶するのだ。そして芸術にとってこの活動は、不断に現前する生と直に触れ合う方向において現れる。これこそがドラマの方向なのである。
~同上書P267
創造者こそ今を生きよと。過去を悔やまず、未来を心配せず、生衝動、イコール性衝動を謳歌せねばドラマは生まれぬのだとワーグナーは主張する。この思想がやはりマティルデ・ヴェーゼンドンク夫人との恋につながり、そしてハンス・フォン・ビューローからコジマを奪う「ドラマ」につながってゆく。
芸術は、決して聖なるものではなく俗世界と密接に結び付いているのだ。
ワーグナー:フラグスタート&二ルソン・シングス・ワーグナー
・ヴェーゼンドンク歌曲集
・「悲しみに打ち沈んだ日々」~歌劇「ローエングリン」第1幕
・「私はあの子が母の胸にすがるのを見た」~舞台神聖祝典劇「パルジファル」第2幕
・「館の男たちがすべて、この部屋に集まっていました」~楽劇「ワルキューレ」第1幕
・「寒い冬の日々に」~楽劇「ワルキューレ」第1幕
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)(1956.5.13-15録音)
・第1幕への前奏曲~楽劇「トリスタンとイゾルデ」
・イゾルデの愛の死「穏やかに、静かに彼が微笑み」(第3幕)
ビルギット・ニルソン(ソプラノ)
グレース・ホフマン(メゾソプラノ)(1959.9.22-25録音)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
「ヴェーゼンドンク歌曲集」第3曲「温室で」は、「トリスタン」第3幕前奏曲といわば双子の関係にあるが、ここでのフラグスタートの深く精妙な歌唱は絶品!!
空しき昼の光より
太陽の去りせば、
心より苦しめる者は
沈黙の闇に身をかくす。
静けさの中に震きが
怖じつつ闇を充たす。
緑なる葉のふちには
水滴、重く停り迷う。
~ライナーノーツ
何よりマティルデの詩作の力量に脱帽。
そして、リヒャルト・ワーグナーの音楽の力、というより恋の魔力!!
ちなみに、ニルソンとの「イゾルデの愛の死」は絶品なのだが、できればフラグスタート&クナッパーツブッシュの演奏を聴いてみたかった・・・。
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ワーグナーの身長って、160cm以下だったという説が有力らしいですね。
※参考サイト
http://ka2ka.exblog.jp/19522728/
西欧の歴史上の独裁者の身長をちょっと調べてみました。
ナポレオン 168cm
ヒトラー 172cm
ムッソリーニ 164cm
フランコ 163cm
スターリン 167cm
※プーチン 170cm
やっぱりね!!、
コンプレックスがその人の原動力の一つになっていることは、
ほぼ間違いなさそうです。
『間を根本的に動かしているのは、「優越を求める心」だ』 アルフレッド・アドラー
そのアドラーの身長は、たったの150cmだったそうですね。
※プーチンの身長は168cmとか165cmとかいう説もありますね。
柔道やって強くなりたかった気持ちが痛いほどわかります。
『人間を根本的に動かしているのは、「優越を求める心」だ』という
アドラー自身が、劣等コンプレックスとの葛藤に悩みぬきつつ前進したんでしょうね。
>雅之様
なるほど!興味深い!!
しかしながら、コンプレックスが原動力の一つになっているとはいえ、歴史上の人物をこうやって眺めてみると、強烈な劣等感は病的な結果をもたらす可能性があることもわかりますね。
ありがとうございます。