山中湖畔にて

eroica_mravinsky.jpg早朝5:30起床。まだ真っ暗な中、冷たい空気に頭もしっかり冴え渡り、「フェザント山中湖」近くにある山中湖温泉「紅富士の湯」に出掛ける。「紅富士」の名は、早朝の太陽が地平線上にあり、冬の富士の真っ白い雪山に映えて、紅色に照らすところに因んでいるのだという。確かに午前7:00前、露天風呂から眺める富士山は薄紅色に染まった(温泉の中ゆえその写真は撮れなかったが)。何とも美しい。

かれこれ20年近くセミナーの開催のため河口湖方面には毎週のように通っていた。しかし、同じ富士五湖とはいえ「山中湖」はほぼ初めてといっていいくらい。観光地化され、人間臭い「河口湖」と違い、不思議に空気も汚れず、気も落ち着いているこの湖は冬場こそお奨めスポットなのではないかと思うほどだ。人が集まるところにビジネスが生まれ、一見繁栄するかのように錯覚するが、それによって失うものも大きい。飾り立てれば立てるほど人は興味をもって集まる。しかし、度が過ぎると、本質を見失い、そのものが「そのものらしさ」を無くしてゆく。「何か大事なこと」がこういう汚れない自然の中にあるのだと再確認する。

山中湖と霊峰富士を眼前に深呼吸。身も心も洗われて清清しい。どういうわけか頭を過ぎったのが楽聖の分岐点となった名作「英雄」交響曲。それも、若い頃、本当に聴き飽きるほど聴き込んだ名曲の第2楽章葬送行進曲のトリオ部。英雄死して葬られ、自然の中に還ってゆく様を表現するようなこの清らかな音楽が地球の光景と一体となって流れてゆく。

ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1968.10.31Live)

ムラヴィンスキー命の僕にとっても、この「英雄」交響曲に関しては当初あまりぴんと来ず、長らく隅っこに追いやっていた名盤。もともとフルトヴェングラーの重厚で粘着質のベートーヴェン演奏を好んで聴いてきたゆえ、あまりに即物的でスピード感溢れる彼の演奏に対してほとんど聴かず嫌い状態だったもの。それはカルロス・クライバーの颯爽とした演奏を必ずしも好まなかったことに非常に近いニュアンスである。しかし、昨年シューリヒト&ベルリン・フィルの名演奏に触れたのを機会に、ベートーヴェン演奏の可能性の広さに改めて気づかされ、これまた毛嫌いしていたトスカニーニ&NBC響盤に目覚めたことが直接のきっかけとなったか・・・。今やこういう無駄を削ぎ落としたパッションの塊のような解釈、アポロン的な解釈のベートーヴェンが一層お気に入りになっている。
この音盤が、願わくばステレオ録音であったなら・・・。

mt.fuji.jpg人の持つ一時の感覚というのは極めて怪しいものである。食わず嫌いをせず、何でも受け容れてみることで新しい何かが見えてくるはず。世に残されたものに不要なものはない。

午前7:30、山中湖畔から臨む霊峰富士。


2 COMMENTS

雅之

山中湖周辺の山梨側から見る富士山、綺麗ですねぇ!大好きです、写真、感動しました!それと、この時期にしては山頂付近の積雪が多いですね。最も美しい積雪の量ですね。
私は数年前、静岡市清水区の賃貸マンションに1年半ほどだけですが住んでおりまして、天気の良い日は北の窓からは富士山を、南の窓からは駿河湾を挟んで伊豆半島を眺めることのできる環境におりました。富士五湖周辺は、よく家族で泊まりがけのドライブに行っていました。ですから富士山を見ると、懐かしい気持ちでいっぱいになります。
静岡出身の音楽仲間は、「富士山は静岡側から見るに限る。山梨側は標高が高いから、稜線が短い。サントリーホールでいえば、同じ舞台に近い席でも、静岡側はS席、山梨側は舞台後ろのP席のようなものだ」と言うので、山梨側好きの私と、よくバトルしております。清水区や富士市あたりから見る富士山は稜線が長く、駿河湾とセットで眺めることもでき本当に雄大なんですが、少し稜線の一部に出っ張ったところがあるのと、工業地帯や、道路、宅地やゴルフ場など人間の開発も、厭でも目に入り、気になります。ということで、私は山梨側ファンです。
>人の持つ一時の感覚というのは極めて怪しいものである。
年齢や人生経験とともに、人間の感覚は変わりますね。ちょうど夏目漱石の小説を、十代のころ読むのと今読むのとでは、全然感じ方が違うように・・・。変化するのは夏目漱石の小説ではなく、こちら側ですね。ムラヴィンスキーの「英雄」、私も昔聴いたのですが、あまり印象に残っておりません。改めて聴き直してみたくなりました。

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おかちゃん

>雅之様
おはようございます。
富士山きれいでしたよ!(せっかくなので写真をポップアップ表示にしました)。あと、写真のないのが残念ですが、露天から見える早朝の紅富士も美しかったです。
そうですよね、静岡に以前住まれたことがあったんですよね。富士山が持つ悠久のエネルギーが身近に感じられる立地にいらしたようで羨ましいです。
>サントリーホールでいえば、同じ舞台に近い席でも、静岡側はS席、山梨側は舞台後ろのP席のようなものだ
ほんとですか!僕は静岡側から眺めたことがほとんどないのでコメントしかねますが、昨日の朝の富士山を見る限りでは十分S席でした・・・(笑)。
小説でも映画でも音楽でも、自分の変化や体験とともに見方が変わりますよね。ムラヴィンの「英雄」はやっぱり音がいまひとつなんですよね。それがとにかく残念です。

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