ウラッハ&ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のモーツァルトK.581を聴いて思ふ

mozart_clarinet_quintet_wlach338昔懐かしい人に出逢ったときの得も言われぬ感覚。
ここでいう昔というのは前世、あるいはもっと以前の生かもしれない。人間の魂はある意味理不尽にすべてを覚えているのである。

今まで彼は、恋とは、人の心をうっとりとさせて、世界中がまるで春のように思えてくる、そうした一種の恍惚感だとばかり考えていた。そしてそうした有頂天の幸福を、どんなに彼は、待ち望んでいたことか。ところがこれは、少しも幸福ではなかった。ただ彼が今までかつて知らなかった魂の飢餓、苦痛なまでの思慕、そしてただ苦がい懊悩、それだけにすぎなかった。いつからこんな心持になってものか、彼はあらためて反省してみた。だが、わからない。ただ憶えていることは、初めの二三度を除いて、そのあと彼女の店へ行く度に、いつもなにか疼きにも似た痛みを、胸の中に感じたことだった。
サマセット・モーム著/中野好夫訳「人間の絆Ⅱ」(新潮文庫)P211-212

医学を目指すフィリップの前に現れ、彼を翻弄する傲慢な美女ミルドレッドとの出逢いと、彼が不思議に惹かれていく様に、人間の弱さと、それを自覚するがゆえの強さを思う。彼らは最初からつながっていたのである。
人との出会いにより人は触発され、そして成長する。
天才の足跡を追うと、そのあまりの人間臭いだらしなさと図々しさとともに、一方で、別の天才との邂逅から光り輝くばかりの傑作が生まれ出たことを発見する。
晩年のモーツァルトを追う。

愛する友よ、一向にお返事を下さらないのは、ごもっとものことと思います!私の厚かましさは、度を過ぎました。ただ、私の事情をあらゆる面から観察し、あなたに対する私の友情と信頼を考慮し、私をお赦し下さることをお願いいたすのみでございます。しかし、せめて差し当っての困却から救ってやろうとお思いになり、どれがおできになるならば、それは神の思し召しに適うことです。あなたが目下さしてご入用でない分だけで結構です。できますことなら、私の厚かましさを、すっかり忘れて、どうぞお赦し下さい。明金曜日に、ハーディク伯爵がシュタードラー五重奏曲と、私があなたのために書いたトリオを聴かせてもらいたいということです。勝手ながら、それにあなたをご招待いたします。ヘーリングが弾きます。お伺いしてじかにお話しいたすべきなのですが、リューマチ気味の痛みで、頭がすっかり縛られているようで、このため私の状況が一層こたえて来ます。もう一度、この一っ時だけ、ご都合次第でお助け下さい。―そして私をお赦し下さい。
(1790年4月8日付、プフベルク宛手紙)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P168-169

執拗な無心を続けた盟友プフベルクとモーツァルトの関係、そして、ちょうどこの少し前(1789年9月29日完成、ちょうど226年前!!)、アントン・シュタードラーとの出逢いがモーツァルトに稀代の五重奏曲を創出せしめた。全編を通じて、あまりに悲しく美しい旋律に涙を禁じ得ない。何よりレオポルト・ウラッハの奏するクラリネットのふくよかな響き!!!

・モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調K.581
レオポルト・ウラッハ(クラリネット)
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(1951録音)
アントン・カンパー(第1ヴァイオリン)
カール・マリア・ティッツェ(第2ヴァイオリン)
エーリヒ・ヴァイス(ヴィオラ)
フランツ・クヴァルダ(チェロ)

第1楽章アレグロを、アーベルトは「雲のない春の朝」と称したそうだが、僕の感覚ではちょうど今頃、ポール・ヴェルレーヌ(上田敏訳)の「秋の日のヴィオロンのため息の・・・」に通じる何とも儚い音楽。それにしても、ウラッハのクラリネットはどこまでも明るく濃密。白眉は第2楽章ラルゲット。切なくも静かで美しい音楽は、モーツァルトの純粋な魂を見据える。クラリネットと第1ヴァイオリンの筆舌に尽くし難い対話に、人間の弱さと、それを自覚するがゆえの強さを思う。嗚呼、完全無欠。
愉悦的な第3楽章メヌエットを経て、終楽章アレグロ・コン・ヴァリアツィオーニには「アイネ・クライネ」の木魂が聴こえるよう。
ウラッハのモーツァルトは不滅なり。

 

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