ジュリーニ指揮ベルリン・フィルのモーツァルトK.550&K.551(1991.5録音)を聴いて思ふ

mozart_40_41_giulini_bpo371カルロ・マリア・ジュリーニの音楽は実際のところどうなんだろう?
実演に触れたことのない僕はこの人の録音を聴く限りにおいてまったく判断を下せないでいる。その音楽は、超絶名演奏に感じられる場合もあれば、箸にも棒にも引っ掛からない凡演に思われることも多々。

ベルリン・フィルとのモーツァルトの録音を聴いた。
最後の3つの交響曲はいずれもが悠然たる足取りの、意味深い響きを醸す演奏。
ト短調交響曲には、哀しみを超越した透明至純な歌を感じた。
ここには少なくとも「祈り」はある。
それは、後に追加改訂されたクラリネットの音に反映される。
これまでもう何百回も、数多の演奏で聴いたであろうこの作品がとても新鮮に響いた。

モーツァルトが歌う。
そして、ジュリーニが祈る。
テンポが遅かろうと決して愚鈍なわけではない。何という直感に溢れる音楽であり、演奏であることか。

ちなみに、当時のモーツァルトの、プフベルク宛の無心の書簡には次のようにある。

ここに住んでいる10日のうちに、他の家にいる2ヶ月よりも多く仕事をしました。そして時折憂鬱な考え(これはむりやりやっと追い払う始末ですが)におそわれでもしなければ、事が一層よく運ぶのでしょうが。何しろこの住居は快適で、便利で、おまけに安いときていますから!これ以上私のおしゃべりであなたを煩わすのは止めにして、ただ沈黙して、お待ちしています。
(1788年6月2日付、プフベルク宛書簡)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P140

これほどの創造力の飛翔は精神的苦悩を超えたところでないと生まれ得ないと僕は思う。実際、この頃に生み出された作品はいずれもが「超」の付く傑作ばかりだ。
なるほど、ジュリーニはモーツァルトを楽天的に解釈する。終楽章アレグロ・アッサイにおいてすら苦悶の嵐が通り過ぎた、真っ青な空が見えるよう。

モーツァルト:
・交響曲第40番ト短調K.550
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1991.5.24-26録音)

一層素晴らしいのがハ長調交響曲「ジュピター」。第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの堂々たる風格もそうだが、何より脱力でモーツァルトに向き合う晩年のジュリーニの余裕の姿勢が音楽をより高みにのし上げる。そして、終楽章モルト・アレグロにみる愉悦と、まるで神々が降臨するかのような崇高さ。

やっぱりジュリーニはすごいのかも。
実演が聴けなかったのが痛恨事(?)。

 

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