カルロス・クライバー指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(1975Live)を聴いて思ふ

wagner_tristan_kleiber_bayreuth415あなたは未来です 永遠の平野のうえの
偉大な曙光です あなたは時の夜が明けるときの鶏鳴
あなたは露 朝の弥撒 そして少女
見知らぬ男だ 母だ 死だ
(「時禱集」から)
富士川英郎訳「リルケ詩集」(新潮文庫)P26

妖艶というより厳粛な儀式を見せつけられるような、ある意味終始低空飛行の「トリスタンとイゾルデ」。例えば、終幕「イゾルデの愛の死」など、その翌年の高揚する崇高さと情念の浄化を示す熱唱であるのに対し、カタリーナ・リゲンツァの歌はいかにも冷たい。
おそらくトリスタン役のヘルゲ・ブリリオートとの二重唱がいまひとつのつながりに欠けるところが原因なのかもしれぬ。
それは、若きカルロス・クライバーの指揮にも自ずと影響を与える。
愛の炎は燃え盛ることなく、ただただ遠慮がちに内燃する線香花火の如し。
しかし、かえってそのかすかな愛の火花に大いなる力を想う人もたくさんいるのかも。
第2幕第2場密会の場における男女の合一には、既にここにも死の影が垣間見られるほど純白で美しい。

この時の舞台の肝はブリリオートやリゲンツァもさることながら、イヴォンヌ・ミントンだろう。彼女の扮するブランゲーネの「見張りの歌」の神秘性。

愛の夢の
幸う方がた、
見張りの声に
気をつけてください。
まどろんでいる方がた、
不吉な予感に
胸騒ぎがしますから
お目覚めになるように。
用心が肝心!
用心が肝心!
ほどなく夜も明けます―
日本ワーグナー協会監修/三光長治/高辻知義/三宅幸夫監訳「トリスタンとイゾルデ」(白水社)P83

愛とは幻想だとブランゲーネは忠告するのである。しかしながら、それが幻想だろうと現実だろうと当人たちの知ったことではない。いずれ共に死を迎える二人にとっては「いまここ」こそがすべてだったのだから。

・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」
ヘルゲ・ブリリオート(トリスタン、テノール)
カタリーナ・リゲンツァ(イゾルデ、ソプラノ)
ドナルド・マッキンタイア(クルヴェナール、バリトン)
イヴォンヌ・ミントン(ブランゲーネ、ソプラノ)
クルト・モル(マルケ王、バス)
ヘリベルト・シュタインバッハ(メロート、テノール)
ハインツ・ツェドニック(羊飼い・若い水夫、テノール)
ニコラウス・ヒレブラント(舵取り、バリトン)
カルロス・クライバー指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1975.8.4Live)

死とは覚醒の発火点なのだと思う。
それを、いかにも柵から逃れ、いろんな理由をくっつけて物語るものだから悲劇になるのだ。トリスタンとイゾルデの物語は喜劇である。

マスクを!マスクを!エロスの眼をくらますがいい
誰がその輝く顔に堪えられよう!
まるで夏至のように エロスが
春の序曲を断ちきるときに
「エロス」
富士川英郎訳「リルケ詩集」(新潮文庫)P212-213

 

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3 COMMENTS

雅之

「トリスタンとイゾルデ」の物語の「隠しテーマ」は「媚薬」。これはやがて現代の覚醒剤や危険ドラッグに繋り、古くて新しい悪魔との取引の香りがします。

・・・・・・オペラ作品としては、「トリスタンとイゾルデ」にまつわる媚薬がモチーフとなったガエターノ・ドニゼッティ作曲の歌劇『愛の妙薬』(1832年)が1841年にドレスデンで上演されており、その後も繰り返し上演されたこの作品を、1843年からドレスデンの宮廷楽長となったワーグナーは指揮したと推定されている。1842年にワーグナーが知り合った作家ユリウス・モーゼン(1803年-1867年)にも『マルケ王とイゾルデ』の詩があり、この作品には「宿命の媚薬」のアイデアが含まれていた。・・・・・・Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%83%87_(%E6%A5%BD%E5%8A%87)

トリスタンとイゾルデが摂取した媚薬がヘロイン級だったとしたら・・・。恐縮ですが再度その話題を・・・。

・・・・・・摂取した直後から数分間にわたって続く「ラッシュ」と呼ばれる強烈な快感は何物にも代えがたいものと言われ、時には『オーガズムの数万倍の快感を伴う射精を全身の隅々の細胞で行っているような』と、また時には『人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態』などと表現される。

常態の人間が一生のうちに体感し得る全ての「快感」の合計を上回る快感を瞬時に得ることに等しいと云われるその快楽度の強さ、そしてそこから生ずる至福感は、しばしば「約束された安堵」などと表現されてきた。・・・・・・Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%B3

(上記Wikipediaの記事は、あまりにも生々しく、書いた人もヘロイン経験者では?)

しかし、この高揚感、この陶酔感、イッちゃった感じは、間違いなくあの時のナチスに似ている・・・、切れた時の耐え難い苦痛も、おそらく・・・。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>トリスタンとイゾルデが摂取した媚薬がヘロイン級だったとしたら・・・。

あながちない話ではないともいます。
意外にワーグナーなどはヘロインとはいわず阿片くらいは手を出していてもおかしくないですしね。

>この高揚感、この陶酔感、イッちゃった感じは、間違いなくあの時のナチスに似ている・・・、切れた時の耐え難い苦痛も、おそらく・・・。

その考え、お見事です・・・。

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