グールドのバッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻Vol.3」(1965録音)を聴いて思ふ

グレン・グールドは生涯たった独りきりだった。

ときには格好をつけるために、昔話風に「わたしがあなた方の年齢だったとき・・・」とか、もっと悪趣味に、「いまわたしがあなた方の年齢だったら・・・」とかいう決まり文句をもってきてね。しかし、わたしはこうしたやり方を拒むしかありませんでした。わたしたちそれぞれの経験は別個のものでありますから、諸君に話してあげられるような、実際に役立つような助言はいずれもその有効範囲が限られています。そのことがどうしてもわたしの頭にひっかかるのです。この場で諸君に望むわたしの気持をひと言で尽くす言葉がもし見つかるなら、それは他人の助言に頼りすぎる人生がどれほど実り薄いかを諸君にわかってもらえるような言葉になるでしょう。
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P13

確かに他人の助言ほど頼りにならぬものはない。
しかし、それでも力を借りることは重要だ。なぜなら「自力」には限界があるから。大自然や大宇宙の力をも借りる素直さこそが「他力」。

先の言葉を述べるまでもなく、グレン・グールドは、彼の言葉とは裏腹に、厳密な意味において「他力」のピアニストであったように僕には思われる。
そもそも彼の演奏するバッハには信仰が根づく。
その証拠に「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の後半8曲に耳を傾けるが良い。
聴く者の心に働きかける、一音一音を大切にする音楽の崇高さ。どの瞬間も「祈り」に溢れるのである。

J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
・前奏曲とフーガ第17番変イ長調BWV862(1965.2.23, 3.5&4.23録音)
・前奏曲とフーガ第18番嬰ト短調BWV863(1965.3.31&4.9録音)
・前奏曲とフーガ第19番イ長調BWV864(1965.3.17, 31&4.23録音)
・前奏曲とフーガ第20番イ短調BWV865(1965.3.17録音)
・前奏曲とフーガ第21番変ロ長調BWV866(1965.2.23&3.5録音)
・前奏曲とフーガ第22番変ロ短調BWV867(1965.3.31&4.23録音)
・前奏曲とフーガ第23番ロ長調BWV868(1965.4.23録音)
・前奏曲とフーガ第24番ロ短調BWV869(1965.6.1&8.9録音)
グレン・グールド(ピアノ)

ひとつひとつの音を区切るように、そして、それぞれの音符に命を賭けて音楽を奏するグレン・グールドの方法。それこそ誰の道を真似るでもなく、自ら切り開いた型であり、そこにこそ彼のバッハの永遠、また普遍が見出せるのである。

余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣りの没風流漢よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上に於て示すものは天下の公民の模範である。
夏目漱石「草枕」(新潮文庫)P148

「草枕」での余の孤高はグールドのそれと相似。
引き続き彼はかく語る。

しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中に人情界に帰る必要はない。あっては折角の旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金のみを眺めて暮さなければならぬ。
~同上書P148

グールドは情けを否定した。だからこそ彼は「草枕」に共感したのである。
そして、彼の弾くバッハが50余年を経ても「現役」であるのには、まさにこの「人情」を否定した普遍があるからなのだと思った。

ロ短調のフーガが涙を流す。それはきっと冷たい涙だ。

 

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3 COMMENTS

雅之

>しかし、それでも力を借りることは重要だ。なぜなら「自力」には限界があるから。

同感です。それはまさにグレン・グールドに限らない普遍的な真実。

又吉 直樹 (著)「 火花 」(文春文庫) から、先輩漫才師 神谷の台詞(P155)

「漫才はな、一人では出来ひんねん。二人以上じゃないと出来ひんねん。でもな、俺は二人だけでも出来ひんと思ってるねん。もし世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなと思う時あんねん。周りに凄い奴がいっぱいいたから、そいつ等がやってないこととか、そいつ等の続きとかを俺達は考えてこれたわけやろ?ほんなら、もう共同作業みたいなもんやん。同世代で売れるのは一握りかもしれへん。でも、周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりするわけやろ。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。やらんかったらよかったって思う奴もいてるかもしれんけど、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかって言うたら絶対にそんなことないやん。一組だけしかおらんかったら、絶対に面白くなってないと思うで。だから、一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。ほんで、全ての芸人には、そいつ等を芸人でおらしてくれる人がいてんねん。家族かもしれへんし、恋人かもしれへん」

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