呼吸

bruckner_8_knappertsbusch_mpo.jpg呼吸が一致することって大事だ。
感性や考え方、あるいは習慣の違いなどは、いくらでも修正はきく。しかしながら、本来的な「呼吸」についてはどうしようもない。ペースの差を補うことは難しい。
もう30年になる。僕がブルックナーの音楽に初めて触れたのは朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会における交響曲第7番だった。悠揚迫らぬ広大な音楽世界と水墨画のようでありながら妙なる色彩感をもつこの音楽の虜にすぐ様なった。当然ブルックナーについてもより一層知りたくなる。当時、巷で手にできる音楽書は今ほど膨大ではなく、特にブルックナーに関してはわずかな資料しかなかったのではないだろうか。その中に青土社から出ていた「音楽の手帖シリーズ」があった。この本は、僕がブルックナーの世界を知り、初めて手に取った参考書の一つであった。貪るように読んだ。
そこでは、宇野功芳先生が、『ブルックナー演奏のディスコロジー』と題するコラムを書かれており、評されるレコードを空想しながら、ひとつひとつ買い集め、繰り返し聴いた。

第8交響曲では、3種の名盤として①クナッパーツブッシュ&ミュンヘン・フィル盤、②シューリヒト&ウィーン・フィル盤、③朝比奈&大阪フィル(ジアン・ジアン)盤を挙げられていた(氏は今でこそこれらの音盤を第一に推されなくなっているようだが、随分長い間、第8の推薦盤として方々に書かれていた)。

「極めて巨大で迫力のある表現ながら、渋みのある有機的な響きが一貫し、魂の安らぎをおぼえるほどだ。深い意味が強調されることなく現れ、終始思いやりと同感に溢れながら、客観性を失うことがない。」
こんな文章を読めばどうしても聴きたくなるのが人の常。ブルックナーの世界に入り込んだ高校生の僕はともかく最高傑作といわれる第8番を夢見た。そしてどうせ聴くならクナッパーツブッシュだろうと決め込み、京都の烏丸四条にあった「十字屋」で早速ウェストミンスターのアナログ・レコードを手に入れた。白地に赤色(青だったか?)で文字が書かれたシンプルな装丁だった。

残念ながら初めて聴いたときは正直「わからなかった」。第7交響曲の流麗で美しい響きに比べあまりにごつごつした堅牢な音楽としてしか認識できなかった。

「第8交響曲」の初演をめぐって、ヨーゼフ・シャルクとヘルマン・レヴィとの往復書簡が興味深い。

「僕は途方に暮れてしまった。そこで是非とも君に忠告と助言を求めなければならない。一言でいえば、僕はブルックナーの「第8交響曲」という大海をあてどもなくさ迷っているのだ。僕にはそれを振る勇気がない。・・・第1楽章出だしの楽節は壮大だ、でもその展開には途方に暮れてしまう。最終楽章に至っては、完全にお手上げだ。どうすればいいんだろう。僕はこの言葉が僕たちのあの人に与える影響のことを考えると身震いする想いだ。・・・」
(1887年9月30日付シャルク宛レヴィの手紙)

「君の言葉は、当然のことながらブルックナー教授に手ひどい打撃を与えた。彼はいまだに打ちしおれていて、立ち直れないでいる。・・・遠からず落ち着きを取り戻し、君の忠告を考慮して作品に手を入れることだろう。事実、彼はすでに第1楽章にとりかかっている。・・・」
(1887年10月18日付レヴィ宛シャルクの手紙)
~久保儀明訳

閑話休題。
しかし、僕は懲りずに何度も聴いた。1ヶ月もした頃だろうか、本当にあるときに「わかった」。以来この音楽は僕の宝になる。レコードでも実演でも数えきれないくらい聴いた。まさに人類の至宝!

ところで、VTRテープのDVD化にあたり、チェリビダッケが1990年に来日した折のブルックナーの第8交響曲を久しぶりに観た。お馴染み黒田恭一先生の解説により楽しませてもらったが、ついでに当時そのあまりにも遅すぎるテンポに辟易したことを思い出した。

神々しいばかりの演奏で、おそらく当日その場にいたらば、相当な感動感銘を受けたのだろうが、やはり僕には「遅く」感じられる。「呼吸」の深さ(速さというか・・・)が明らかに違うのだ。先のクナッパーツブッシュも同様のスピード感だが、体感速度がこうも違うのはどういうことなのだろう?音楽が生きているんだということがこういうところからも実感できる。音楽というのは真に不思議なものである。

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
「呼吸」も、宇野さんが流行らした言葉ではありますよね。
音楽の良さは、別に「呼吸」の深い浅いだけで決まるものでもないと思います。
>チェリビダッケが1990年に来日した折のブルックナーの第8交響曲
この映像も、昔LDで堪能しました。
チェリビダッケの個性的な指揮と共に、オケ、特にペーター・ザドロのティンパニの迫力に、心底痺れたものです。
http://www.youtube.com/watch?v=8qFQY3Olty0&feature=related
チェルビダッケのこのブル8も、クナ、シューリヒト、ヴァント、朝比奈先生の解釈に、一歩も引けを取らなかったと信じています。理解出来ない人は、その人にとってそれで正解なのだと思います。感性や好き嫌いは何十億通りもあるのですから・・・。

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岡本 浩和

>雅之さま
こんばんは。
そうでした!「呼吸」も宇野さんの言葉でしたね。
僕としては「呼吸」という言葉もそうなんですが、「うねり」(これも宇野さんの言葉かな?)とかドライヴ感とかを一層重視します。
おっしゃるように「「呼吸」の深い浅いだけで決まるものでもない」ですよね。
チェリの演奏はどれを聴いても思うんですが、やっぱり彼が否定した「録音」では評価しえないんだろうな、と。今日話題にあげたブル8も、その場にいたらさぞかしだったと思うと悔やみきれません。

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