ベラ・バルトークはいわば20世紀のベートーヴェンだ。
彼の方法や音楽言語は、彼以前から引き継がれたものでありながら、化学変化を起こし独自のものを形成すると同時に、彼以降のマイルストーンになっているように僕は思う。
しかも、ショスタコーヴィチ同様、自作からの引用や影響を受けた楽想が多発するので、すべての作品が明らかにバルトークの創造物であることが明白であり、またそれが唯一無二である点が驚異的。
1923年作曲の「舞踊組曲」のフィナーレには、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が木魂する。作曲者自身が1931年に書きつけた草稿には次のようにある。
この曲は、6つの舞曲的楽章から成り、そのうち一つの「リトルネッロ」は、その名のとおりライトモティーフのように何度か回帰する。どの楽章も、主題の素材は農民音楽のイミテーションである。作品全体の目的は、農民音楽の理想的状態を作り出すこと、それぞれの特定のタイプの音楽を表す各楽章を並べることで、各民族の農民音楽をひとつのものへとまとめることである。モデルとして用いられているのは、さまざまな民族の農民音楽だ。ハンガリー、ルーマニア、スロヴァキア、そしてアラブ、ときにはこれらの混合物まで見られる。たとえば冒頭楽章の第一主題は、アラブ風の原始的な農民音楽を思い起こさせるが、そのリズムは東ヨーロッパの民俗音楽のものである。(中略)第4楽章では、アラブの都市の音楽のイミテーションが細切れに用いられる。(中略)リトルネッロはハンガリーのある種の民俗的旋律の忠実な模倣であり、その出自については経験を積んだ民俗音楽学者も騙されてしまうほどである。(中略)第2楽章はハンガリー的性格を帯び、第3楽章ではハンガリー的要素とルーマニア的要素が交代で現れる。
~伊東信宏著「バルトーク―民謡を『発見』した辺境の作曲家」(中公新書)P109-110
バルトークの根底に流れるものはあくまで「農民の歌」なのである。それほどにナショナルな歌がインターナショナルになり、普遍性を獲得するところにバルトークの天才があった。
ちなみに、「舞踊組曲」の10年ほど前の作品である「4つの小品」には、同様に「民俗的」でありながら、洗練された独自のセンスが溢れる。第1曲前奏曲に聴く「夜の気配」。第2曲スケルツォの荒々しさ、そして第3曲間奏曲の虚ろな音調と終曲「葬送行進曲」の激しい慟哭。すべてが有機的に絡み、すべてを包み込むバルトークの世界が現出する。
バルトーク:
・4つの小品Sz.51(作品12)(1912)
・管弦楽のための協奏曲Sz.116(1942-43)
ピエール・ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団(1992.11-12録音)
そして、一層素晴らしいのが、最晩年の「管弦楽のための協奏曲」。様々な音楽が昇華され、極細の美しさを醸す第1楽章。ブーレーズの方法は相変わらず冷徹で理知的。また、第3楽章エレジーに聴く幽玄かつ漆黒の音楽にほとばしる暗澹たる抒情に釘付けとなり、簡潔な第4楽章を挟み、急転直下、解放的な終楽章の希望と愉悦の響きに唸る。
ところで、ロバート・フリップは、バルトークを模範にしているそうだが、キング・クリムゾン初期の饒舌でありながら冷淡かつ頭脳的な音響からそのことは容易に想像がつく。
例えば、第2作”In the Wake of Poseidon”に収録される”Pictures of a City”から”Cadence & Cascade”の流れには熱い激情と冷たい抒情が交差し、独特のエネルギーを放出しており、これなどはバルトークの陰陽の包含を髣髴とさせるもの。
ピエール・ブーレーズが亡くなった。享年90。
僕の中に不思議と予感があった。12月に幾度も彼の音盤を採り上げたのはそのため。
合掌。
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>僕の中に不思議と予感があった。12月に幾度も彼の音盤を採り上げたのはそのため。
そして、個人的には私の誕生日に逝去されました。
最期に、我々の「管理された偶然性」にハマってしまわれましたか・・・、ご冥福をお祈りいたします。
>雅之様
>個人的には私の誕生日に逝去されました。
はい、同じく驚きです。
>我々の「管理された偶然性」にハマってしまわれましたか・・・
ということになりますかね?(笑)