Queen “The Game”(1980)を聴いて思ふ

Queen_The_Game事を興そうとするなら、時代の要請に応えねばならないが、自らの個性を封印してまで世間に合わせる必要があるのかどうか。
臨機応変は大切だが、また、どんな要求にも対応できる懐の深さは魅力だが、自分たちのユニークさを失ってまで「動く」のは果たして如何に?

1980年とは世界にとって大きな分岐点だったのではないか。
その頃活躍した人々にとって来し方行く末をより深く考えるべき「時」ではなかったのか。
クイーンの「ザ・ゲーム」を聴いて思った。
このアルバムはアメリカで最も売れたアルバムになったが、一般的に言われるようにクイーンという個性をある意味捨て、時代の色に染まることを余儀なくされた問題作であった。

考えるべきは、このアルバムがいかにも古びた印象を与えることだ。ファースト・アルバムはもちろんのことセカンドや「シアー・ハート・アタック」や「オペラ座の夜」が、発売から40年以上を経た現代でも十分に「新しい」印象を失くさないのに対して・・・。

普遍性は時間と空間を超える。しかしながら、ビジネスを意識した途端、おそらく作品は極めて矮小化され、ありふれた型に閉じ込められるのかも。

「ようするに、仕事」クイーンのリード・ヴォーカル、フレディ・マーキュリーは言う。フレディによれば、クイーンは、「全員、仕事にあぶれる余裕がなかった」ために、作られたバンドだった。マーキュリーのアフリカ・ツアーの話は、まるで株主総会の議長の話のようで、「新しいテリトリーが開拓されたとか、市場を制圧した」というような表現がぽんぽん飛び出してくる。
フレディは、今のバンドは、ビジネスとして生き残るための準備をしていると言う。「成長の一過程だと思いますね。すべてのバンドを分析するのは不可能なので、ポリスの例を取りましょうか。彼らは、10年前の我々とは大違いで、この商売がどんな商売なのかわかった上で、一歩一歩、積み重ねて来てますよ。
ゲーリー・ハーマン著/中江昌彦訳「ロックンロール・バビロン」(白夜書房)P202

ちょうど「ザ・ゲーム」がリリースされた頃のフレディの言葉である。意外ではあるが、これが彼の本音なのだ。そえゆえかどうなのか、売れる前の、必死になって自分たちの仕事をこなそうとしていた頃のクイーンの仕事は真に美しかった。
時代の趨勢に押され、それこそ産業にうまく乗りながら独自の手法で一躍寵児となっていったポリスとはそもそも違うのである(フレディ作の”Don’t Try Suicide”などは明らかにポリスを意識しているように思う)。
残念ながらこのアルバムは、僕の心をくすぐらない。

Queen:The Game(1980)

Personnel

Freddie Mercury (lead and backing vocals, piano, rhythm guitar, keyboards)
Brian May (electric, acoustic and twelve-string guitars, backing vocals, lead vocals, piano, keyboards)
Roger Taylor (drums, electronic drums, backing vocals, electric guitar, lead vocals, keyboards)
John Deacon (bass guitar, electric guitar and piano, acoustic guitar)

しかしながら、4人それぞれの個性を反映した楽曲はいずれもタイトかつソリッドで、時代の要請に的確に応えたという点で素晴らしい。スティーブ・ライヒの言葉を借りるなら、「大量のハンバーガーが売られているという現実の状況のなかでも、決して嘘をつくことのなかった」作品なのである(それが普遍的なものかどうかは別にして)。

この8枚目のオリジナル・アルバム「ザ・ゲーム」を機に、クイーン・サウンドは新時代に突入した。初期のエルヴィス・プレスリーを思わせる「愛という名の欲望」、ディスコ・ビートの「地獄へ道づれ」、初めてシンセサイザー・サウンドを取り入れた「プレイ・ザ・ゲーム」などが象徴するように、明らかに初期の路線と決別している。少なくとも、オペラをロックに持ち込んだ「ボヘミアン・ラプソディ」のようなクラシカルな一面が影を潜めたことは確かだ。
(吉田俊宏)
~TOCP-67348ライナーノーツ

 

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4 COMMENTS

雅之

>1980年とは世界にとって大きな分岐点だったのではないか。

1979年が分岐点だったという人も、各界に多いですね。私も、社会的にも個人的にも1979年は分岐点でした。

最近読んだ、おすすめ本

クリスチャン・カリル (著)「 すべては1979年から始まった: 21世紀を方向づけた反逆者たち」(草思社)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AF1979%E5%B9%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F-21%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%92%E6%96%B9%E5%90%91%E3%81%A5%E3%81%91%E3%81%9F%E5%8F%8D%E9%80%86%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%AB/dp/4794221029/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1453837589&sr=8-3&keywords=1979

音楽にはあまり関係ない本ですが、面白いです。

返信する
雅之

1979年、他にもありました。昨年お渡しした本に記載の記憶があったので、仕事帰りに図書館で借りてきて確かめてみました。

中山康樹(著)「現代ジャズ解体新書  村上春樹とウィントン・マルサリス」(廣済堂出版)

http://www.kosaido-pub.co.jp/new/post_2142.html

・・・・・・ ヒップホップ(当時は「ラップ」という呼称が一般的だった)のルーツを遡れば、さすがにジャズほどではないにせよ、それなりに長く、曲がりくねっている。しかし焦点をウィントンに合わせたとき、起点を「1979年」とすることが妥当に思われる。つまりこの年、のちに「初のヒップホップ」と称されるファットバック・バンドの《キング・ティムⅢ》と「初のラップ」と称されるシュガー・ヒル・ギャングの《ラッパーズ・デライト》が登場、とくに後者は大ヒットした。時にウィントン、18歳。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズで中央のジャズ界にデビューを飾る約1年前のことだった(この時期、マイルスの引退期間はまだつづいていた)。・・・・・・ P131

《キング・ティムⅢ》や《ラッパーズ・デライト》は、大学のゼミの友人が聴いていたのを覚えています。

まあ、1980年の土台が1979年に形成されつつあったということでしょうね。

>1980年とは世界にとって大きな分岐点だったのではないか。
その頃活躍した人々にとって来し方行く末をより深く考えるべき「時」ではなかったのか。

同感です。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

貴重な書籍をいただいてしまい、ありがとうございます。
確かにそういう記述ありました!ありがとうございます。

>まあ、1980年の土台が1979年に形成されつつあったということでしょうね。

同感です。僕は79年に高校に入学しているのですが、80年代に突入するあの正月のことは妙によく覚えております。面白いものですね。

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