“The Doors” (40th Anniversary Edition)を聴いて思ふ

the_doors441音楽に境界はない。すべてが互いに影響を与え合い、強くなるのだ。
イーゴリ・ストラヴィンスキーの「オイディプス王」
ここでの王の最後の言葉。

私は神の掟の許さぬ他人から生れ、
神の掟の許さぬ人と褥を共にし、
神の掟の許さぬ人を殺めた。
すべてが今明らかになった。
(歌詞対訳:淺沼圭司)

親殺しの烙印を押され、憐れみを受けるオイディプス王の罪悪感というのは計り知れない。自らの思い上がりが招いたこととはいえ、人間の悲劇をあからさまに突き付けるこの物語はやはり哀しい。

ところで、ギリシャ神話に題材をとるというインスピレーションを得た作曲家が、台本作成者として白羽の矢を立てたのはジャン・コクトーだった。

繰り返すが、パリは空席だった。ぼくたちはそこを占領した。1916年からぼくたちの革命が始まったのだ。
ストラヴィンスキーの後はピカソだった。あらゆる精神的な努力が無効となる無意識の神秘というものを、ぼくはついに知った。探そうとする以前に芸術家が発見し、しかも永久に発見しつづける一つの世界が存在していた。戦いが宗教の戦いとなる一つの世界。ピカソ、ストラヴィンスキーは、それぞれにその世界の元首だった。
ジャン・コクトー著/秋山和夫訳「ぼく自身あるいは困難な存在」(筑摩書房)P34

こんな考え方を持っていたコクトーだからこその「絶対」。ストラヴィンスキーとピカソとの出逢いがコクトーの魂に火をつけたのである。
そしてまた、ストラヴィンスキーもコクトーの物語に大いに刺激された。

新年早々、私はコクトーから「オイディプス王」の決定稿の最初の部分をジャン・ダニエルーがラテン語訳したものを受け取った。それは何ヵ月も前からじりじりしながら待っていたもので、私は急いで仕事に取りかかった。私がコクトーにかけていた期待は見事に実現した。これほど私の欲求に呼応した完璧なテクストは決して望みえなかっただろう。
(中略)おのずから際立つ高い品格を備え、ほとんど儀礼的なまでに型にはまった言語に基づいて音楽を創作するというのはなんと喜ばしいことだろう!文章や、固有の意味を伴った言葉に支配されていると感じることももはやない。表現的な価値を十分に保証する普遍の鋳型に流し込まれ、言葉はもはや注釈を要求しない。テクストは作曲家にとって、ひたすら音楽的な素材となる。
イーゴリ・ストラヴィンスキー著/笠羽映子訳「私の人生の年代記―ストラヴィンスキー自伝」(未來社)P149-150

文字通り「二人三脚」の絶対的コンビ。
そんなコクトーが1963年に亡くなった時、ストラヴィンスキーは何を思ったのか?

The Doors (4oth Anniversary Edition)

Personnel
Jim Morrison (lead vocals)
Ray Manzarek (Vox Continental organ, piano, keyboard bass, marxophone)
Robby Krieger (guitar, bass overdubs)
John Densmore (drums)

ちなみに、「オイディプス王」の神話に少年の頃からずっと魅了され続けてきたジム・モリスンが、果たしてストラヴィンスキー=コクトーのオペラに触れていたのかどうかそれは知らない。しかしながら、1965年か66年に生み出された”The End”には、それこそ「オイディプス王」の悲劇が明確に刻印されることは実に興味深い。それはジム・モリスンによる強烈な絶叫を伴って・・・。

Father?
Yes, son?
I want to kill you
Mother, I want to…

また、東洋の音楽と哲学に興味を持っていたロビー・クリーガーが、UCLAとラヴィ・シャンカールのキンナラ・スクールでシタールとサロードを学び、”The End”の音楽に影響を与えたのだという。ジムによる詩の革命とロビーによる音楽の革命。これこそザ・ドアーズの奇蹟である。

3人はラッキーUでずっと飲んでて、ジムは誰かの喘息薬でキメてたわ。私のレポートはドキュメンタリー映画史についてだったんだけど、「オイディプスについて書けよ―父親を殺して、母親をファックしたんだぜ」って、ジムがうるさかったの。二人に頼んで連れ出してもらうまで、ずっと言い続けてたわね。結局、私はレポートを仕上げられずに、もう一度クラスを取り直さなくちゃいけなくなったのよ。
チャック・クリサファリ著/デイヴ・ディマーティノ協力/加藤律子訳「ドアーズ―ムーンライト・ドライヴ」(シンコーミュージック)P62

音楽、そして芸術に境界はない。すべてが互いに影響を与え合い、強くなるのだ。

これで終わりだ、美しき友よ
これで終わりなんだ、たった一人の友よ
僕たちが立てた綿密な計画の終わり
立ち上がるすべてのものの終わり
安全もない、驚嘆もない、その終わりには
もう一度お前の目を覗き込むことは絶対にない

 

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3 COMMENTS

雅之

親子や兄弟での近親婚が未だにタブーなのは何故なのでしょうか? 同性婚が認められるようになったニュースを読んだり聞いたりするたびに、いつも私が感じる疑問です。子供を作らなければ、母子・父子・兄妹・姉弟などの親子婚や兄弟婚もいいと、論理的にはなるはずです。実際に、そういう「愛」は多数存在するのですから。

小松 左京(著)「日本沈没」を小学生のころ初めて読んだ時、一番強烈に印象に残ったのは、日本列島が海に沈む場面よりも、沈みゆく日本から逃れシベリア鉄道に乗る主人公の傍らで、一人の少女が 「丹那婆」 の物語を語るシーンでした。

八丈島の始祖伝説のひとつ「丹那婆伝説」とは、「大津波で一人助かった妊婦が男子を産み、その子が成人してから母子交合して子孫を増やした」というもの。

http://www.nankaitimes.com/toku_kiji/tanaba.html

伝説の真偽はともかくとして、こんな魅力的な話も、オペラや演劇、映画等の題材に、ぜひ活用して欲しいものです。

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岡本 浩和

>雅之様

今更ながら脱帽です。
小学生の時の「日本沈没」読後の視点がすご過ぎます。
僕などはその頃洟垂れでしたから、小松左京は読んでもそんなことは思いもよりませんでした。

確かに「丹那婆伝説」は興味深いです。
それと、おっしゃるように近親婚のタブーは疑問と言えば疑問ですね。
古来ですから、表に出ない何か理由があるのでしょうが、追究してみたいものです。
ありがとうございます。

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