刹那は永遠なのだと思った。
クリスマスの晩餐というその舞台は変わらない。
しかし、そこで起こる様々な出来事、人間模様は、ひとつの家族のまる90年分の歴史であり、それが50分に満たない物語の中で走馬灯の如く描かれる。
パウル・ヒンデミットの最晩年の、そして最後のオペラである「長いクリスマスの晩餐」。
セロニアス・モンクを髣髴とさせるイントロダクションの金管を主にした敬虔な祈りの聖なる歌。おそらくジャズのイディオムを吸収し、時折モーリス・ラヴェルの作風を借りたような場面も現われ、音楽はいかにも「わかりやすく」進行する。
各場で繰り広げられる数多の多重唱が魅力。
例えば、第9場の六重唱。女声を伴奏に歌う(死を目前にした)サムの気怠い雰囲気のアリア(?)が美しい。
私はまもなく引き返すよ。この戦争は短いだろう。
君を記憶に留めたいから顔をよく見せておくれ。
クリスマスなのだから、自分がやるべきことをしなきゃ。
しっかり留めよう!
君のことを忘れないよ。
それに対して、レオノーラ、エルメンガルデ、そしてルチアⅡ世がとても現実的に答えるのである。
天気のことを語りましょう、雪についてお話ししましょう。
ある日は曇り、またある日は晴天。
そして、子どもたちのこと、そして彼らの成長についてしゃべりましょう。
ヤノフスキの音楽は実に理知的だ。ヒンデミットの、民謡風のおどけた楽想をとても客観的に料理する。なるほど、それこそ「あちらの世界」から覗き込むように描き切るのだ。
・ヒンデミット:歌劇「長いクリスマスの晩餐」(ドイツ語版)(1960)
ルート・ツィーザク(ソプラノ、ルチア&ルチアⅡ世)
ウルズラ・ヘッセ・フォン・シュタイネン(メゾ・ソプラノ、ベイヤード家の母&エルメンガルデ)
ヘルマン・ヴァレン(バリトン、ロデリック&サム)
アルチュン・コチニャン(バス、ブランドン)
チャールズ:クリスティアン・エルスナー(テノール、チャールズ)
レベッカ・マーチン(メゾ・ソプラノ、ジュヌヴィエーヴ)
ミカエラ・カウネ(ソプラノ、レオノーラ)
マレク・ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団(2004.8.16-24録音)
また最終場の、エルメンガルデが「あの世」に消え行く唐突の終結には、見事に刹那が描かれる。
美しい雪・・・、
彼女はクリスマスの日にこの手紙を書いている。
書くのです・・・。
ここには写真があり、
小さなあたらしいロデリックが、そして小さな新しいルチアも写っています。
ベイヤードの目・・・、そして顎・・・、
彼女は書くのです。
ここでエルメンガルデは立ち上がり、「死の扉」に向かって歩む。
彼等はまた新しい家を建てているのよ。
彼女はそう書くのです。
何と幻想的な!
生と死の反復の内側にある無意味で単純なドラマ。ソーントン・ワイルダーの1931年の戯曲がヒンデミットの筆により新たな息吹を獲得する。このオペラは間違いなくその舞台に触れねば真髄は見えないだろう。それでも名匠ヤノフスキの音楽の再現力に感服。
ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。
ヒンデミットにはヴィオラを通して愛着がありますが、このオペラは未聴です。なので、また、とりとめのない妄想コメントをお許しください。
ヒンデミットと同時代を生きた、オーストリア出身の理論物理学者、エルヴィン・シュレーディンガーに想いを馳せました。
Wikipedia 「エルヴィン・シュレーディンガー」より
・・・・・・生涯ヒンドゥー教のヴェーダーンタ哲学に興味を有した(若き日にショーペンハウアーを読み耽った影響)。著書の中で、「量子力学」の基礎になった波動方程式が、東洋の哲学の諸原理を記述している、と語り、『精神と物質』には、次のように記している。「西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろう。一切の精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、それは不滅だと言いたいのです。私は西洋の言葉でこれを表現するのは適さないということを認めるものです。」
「宗教は科学に対抗するものなのではなく、むしろ宗教は、これとかかわりのない科学的な研究のもたらしたものによって支持されもするものなのであります。神は時空間のどこにも見出せない。これは誠実な自然主義者の言っていることであります。」「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。」
晩年の著書でも言及している通り、物理学に対しては強い情愛と理念を持っていた。
私生活では、結婚制度をブルジョア価値観と軽蔑し、2人の妻を持とうとし、婚外子を3人持つなど、奔放な生き方で知られた。ムーアによる伝記研究で明らかにされた通り、関係をもった女性たちのリストを認めており、またペドフィリアでとりわけ幼女との接触を好んでいた。・・・・・・
>生と死の反復の内側にある無意味で単純なドラマ。
我々の明日の生死は、極めてミクロレベルな刹那で決まるのかもしれません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%8C%AB
まさに禅でいう「前後際断」です。
>雅之様
シュレーディンガーはまったく不勉強で今の僕には歯が立ちません。
それでも、
「宗教は科学に対抗するものなのではなく、むしろ宗教は、これとかかわりのない科学的な研究のもたらしたものによって支持されもするものなのであります。神は時空間のどこにも見出せない。これは誠実な自然主義者の言っていることであります。」「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。」
という言葉には納得させられます。
>我々の明日の生死は、極めてミクロレベルな刹那で決まるのかもしれません。
すべてが一瞬に含まれているということですよね。