グリゴリー・ソコロフのシューベルト&ベートーヴェン(2013Live)を聴いて思ふ

sokolov_schubert_beethoven446本物は決して表に出ない。「本物」と謳った時点でそれは偽物なり。
出てはならないのだと思う。

旧ソ連の芸術家たちの生き様に思う。「鉄のカーテン」の向こうにあったときの真実こそすべて。リヒテルは西側に亡命してから果たしてどうだったのか?その意味ではロストロポーヴィチも。隠された事実を追究することは真に面白い。

グリゴリー・ソコロフの真実。
あらゆる瞬間が自然体で大らか。何より音の「つながり」が他を冠絶する。

シューベルトは晩年の即興曲集でベートーヴェンを模倣しようとしたのかも。否、ベートーヴェン以上に「歌」を重んじ、その内側に「真実」を刻み込んだ。

即興曲第1番ハ短調には楽聖の交響曲第5番の有名な主題が引用される。
躍動的で機知に富み・・・、美しい音楽が廻る。
また、第2番変ホ長調の低音部(伴奏部)はまるでカノンの如し。煌めく太陽の音調は聴く者に癒しをもたらす。
あるいは、第3番変ト長調の懐かしい調べ。天にも昇る思い。
そして、第4番変イ長調の、細かい動きを背景に奏される中音部の確信に満ちた響き。

シューベルト:
・即興曲集D899(2013.5.12Live)
―第1番ハ短調
―第2番変ホ長調
―第3番変ト長調
―第4番変イ長調
・3つのピアノ小品D946
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」(2013.8.23Live)
~アンコール
ラモー:クラヴサン曲集から
・やさしい訴え
・つむじ風
・一つ目の巨人
・いたずら好き
・未開人
ブラームス:即興曲変ロ短調作品117-2
グリゴリー・ソコロフ(ピアノ)

「3つのピアノ小品」に溢れる愛。
死の年の虚ろな透明感。旋律の美しさは随一。この「冗長さ」がむしろ癖になる。
ここではソコロフの入念な読みと解釈がものを言うのである。

50分近くを要する、粘る「ハンマークラヴィーア・ソナタ」作品106。
僕はこれまでこのソナタを理解していなかったんだと思った。
何と母性に満ちたベートーヴェン、実に女性的な包容力。
各楽章の動機の連関は、このスローながら決してもたれない演奏、それでいて前進的な演奏によってはじめて明らかになるのでは?
第1楽章アレグロは、もの思いに耽るベートーヴェンの後ろ姿。これほど哀惜を示す演奏はないのかも。ソコロフの天才。
第2楽章アッサイ・ヴィヴァーチェの可憐な軽快さの妙(テンポは遅いけれど)。アレグロとの見事な対比。
何より凄いのは21分半の第3楽章アダージョ・ソステヌート。ピアノの何とも言えぬ囁きが魂に響く。ずっとここに浸っていたいほど。
そうして、終楽章ラルゴからアレグロ・リゾルートの立体的な音響。第1楽章の萌芽がここでようやく昇華される。あのフーガの絶対。恐るべし。

アンコールのラモーも絶品。
ブラームスの作品117-2の純真!!いかにピアニストの心が澄んでいるかを示すような歌。
グリゴリー・ソコロフの実演に触れてみたい。今の僕の切なる願い・・・。

 

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2 COMMENTS

雅之

>旧ソ連の芸術家たちの生き様に思う。「鉄のカーテン」の向こうにあったときの真実こそすべて。

共産主義ほど、あらゆる意味で平等から遠い体制は無いと思います。

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岡本 浩和

>雅之様

>共産主義ほど、あらゆる意味で平等から遠い体制は無い

はい、確かに。
しかし、その管理された体制から生まれた芸術家たち(スポーツ選手も)の技術的なレベルの高さは並大抵ではないですよね。それも単にテクニックだけでなく、音楽の心を見事に表現し尽くす姿を見るにつけ、芸術というのは抑圧から生れる負の美学なのだとあらためて思います。

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