フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの「ドン・ジョヴァンニ」(1950.7.27Live)を聴いて思う

mozart_don_giovanni_furtwangler_1950450共感覚の持ち主だったオリヴィエ・メシアン。
アルムート・レスラー氏が「バッハやモーツァルトには色彩はないのか?」と問うたとき、彼は「ドン・ジョヴァンニ」第2幕フィナーレの騎士長の亡霊が登場するあの不気味な場面を例に挙げ、次のように回答した。

モーツァルトの場合も似ているが、彼は例外的なほど演劇に秀でた人物だった。舞台の上で一風変わったことが起きると、管弦楽や和音の色彩が変化する。たとえば「ドン・ジョヴァンニ」の最後、騎士長が登場する場面には、別のモーツァルトが現れる。これは並はずれた、恐怖に満ちた様式であり、あの歩く石像に似つかわしい。しかも、トロンボーンや内声でのタイで結ばれた音符、そして半音階の和音を用いた非凡な管弦楽が見出せる。こうした和音や楽器の音色から、あの様々な色彩が生み出されるのだ。
アルムート・レスラー著/吉田幸弘訳「メシアン―創造のクレド 信仰・希望・愛」(春秋社)P101

まるで悪魔の雄叫び。フルトヴェングラーの真骨頂、灼熱のモーツァルト。
歌手は一陣となって指揮者に見事に奉仕する。荒れ狂う音楽に僕たちは片時も気を抜けない。これほどに「並はずれた、恐怖に満ちた」再現はなかなかなかろう。
「ドン・ジョヴァンニ」を絶賛したセーレン・キェルケゴールの、モーツァルトへの一方ならぬ愛を語った「ドン・ジョヴァンニ論」を思い出す。

不滅のモーツァルトよ!私の身におこったいっさいのことは君のおかげなのだ。私が分別をなくしたのも、私の魂が呆然としているのも、私が自分の最も内奥の本質において驚愕しているのも、私が生の歩みにおいてなにものかに心をゆさぶられることなしにすまなかったのも、たとい私の愛が不幸だったにしてもともかく愛することなしには死ななかったのも、みんな君のおかげなのだ。
「モーツァルト事典」(冬樹社)P176

それこそ時間を超越し、キェルケゴールはフルトヴェングラーの実演を聴くかのよう。言葉のひとつひとつに現実味があり、そこにはまさしく「不滅のモーツァルト」が宿る。

・モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527
ティート・ゴッビ(テノール、ドン・ジョヴァンニ)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ、ドンナ・エルヴィーラ)
ヨーゼフ・グラインドル(バス、騎士長)
リューバ・ヴェリッチュ(ソプラノ、ドンナ・アンナ)
アントン・デルモータ(テノール、ドン・オッターヴィオ)
エーリヒ・クンツ(バス、レポレッロ)
イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ、ツェルリーナ)
アルフレート・ポエル(バス、マゼット)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1950.7.27Live)

何より、病に倒れる前のフルトヴェングラーの演奏は一層動的であり、オーケストラの技術的な瑕は相変わらずだが、アインザッツの絶妙なずれから生じる不思議な浮遊感と、あまりに重く暗い表現に、僕は思わずキェルケゴールと同期し、(音質の古さを超えて)永遠を思う。

聞け、享楽の晴れがましい至福を。聞け、彼の荒々しい逃走を。彼は自分自身を走り過ぎるのだ、いよいよ速く、いよいよ止めがたく。聞け、情熱の奔放な欲望を。聞け、愛のざわめきを。聞け、いざないのささやきを。聞け、誘惑のうず巻きを、聞け、瞬間の静寂を―聞け、聞け、聞け、モーツァルトの「ドン・ファン」を!
~同上書P178

ところで、シエピの色気には敵わぬものの、ゴッビのドン・ジョヴァンニはイタリア的な大らかさをもったいかにも開放的な歌で僕は好き。
それと、シュヴァルツコップの歌うドンナ・エルヴィーラも、その最初のアリア「ああ、いったい誰が私に言ってくれるの、あの酷い人がどこにいるかを?」の伸びと張りのある声質で聴く者を圧倒する。
「ドン・ジョヴァンニ」は真に奥深い。
ちなみに、メシアンがことのほか愛した歌劇の中にも、モーツァルトのこの作品が挙げられている。

パリ音楽院の私のクラスでは、ほとんどの歌劇について分析を行ってきた。40年にわたって、傑作とみなされる歌劇を分析したのだ―「ドン・ジョヴァンニ」、「フィガロの結婚」、「魔笛」、それに「カルメン」も―多分君を驚かすかもしれないが、この作品は演劇として傑作だと思う。それ以降のものではワーグナーの全作品、特に「トリスタンとイゾルデ」とあの4部作、そして最後に、あの偉大で、誠に例外的といえる歌劇の傑作群―「ペレアスとメリザンド」、「ヴォツェック」、「ボリス・ゴドゥノフ」、おそらくこの3つは、あらゆる作品の中で最も愛すべきものだろう。
アルムート・レスラー著/吉田幸弘訳「メシアン―創造のクレド 信仰・希望・愛」(春秋社)P93

なるほど、ニーチェと同じくメシアンも「カルメン」を絶賛するのか・・・。

 

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2 COMMENTS

雅之

>なるほど、ニーチェと同じくメシアンも「カルメン」を絶賛するのか・・・。

三島由紀夫もでしょ(笑)。

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