聖なる音楽なのに、何と色香濃い情念。ロベルト・シューマンの死を契機とし、そして、老いた母の死に直面して完成を急いだといわれる「ドイツ・レクイエム」。10年をかけて創造された作品は、まるでクララとの恋沙汰が真実であることを示すかのように生気迸る。
ヨハネス・ブラームスの色気なのか、はたまたオットー・クレンペラーのそれなのか、わからないけれど、この「ドイツ・レクイエム」に感じられる妖艶な響きには、聴いていて息苦しくなるほどの懊悩がある。
あまりに人間臭い鎮魂曲。果たしてこれで心は、魂は安息を得られるのだろうか?
主よ、わが終わりと、わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ、
わが命のいかにはかないかを知らせてください。
「詩篇第39篇 第4節」
フィッシャー=ディースカウの理知的な独唱によって導かれる第3曲「主よ、わが終わりと」の、いかにもクレンペラーらしい堂々たる、そして冷徹な造形に心動く。合唱の決して無理矢理でないにもかかわらず、場の空気を劈くような絶叫も素晴らしい。
・ブラームス:ドイツ・レクイエム作品45
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ラルフ・ダウンズ(オルガン)
フィルハーモニア合唱団(合唱指揮:ラインホルト・シュミット)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1961.3-5録音)
そして、シュヴァルツコップの慈悲深い独唱を伴う第5曲「このように、あなたがたも今は不安がある」の、静かな愉悦!!
このように、あなたがたも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去るものはいない。
「ヨハネ伝;第16章 第22節」
嗚呼、ここでの合唱にある優しさは比類ない。
クレンペラーも思念をできるだけ抑制し、音楽は沈潜する。
さらに、最終曲「今から後、主にあって死ぬ人は」での合唱は、心からの祈りを死者に捧げるのだ。
今から後、主にあって死ぬ人は、さいわいである。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく。
「ヨハネの黙示録;第14章 第13節」
何という幸福感!音楽はゆったりと、しかも重厚さをもって進む。第1曲では荒れ狂っていた心が終曲において見事に鎮まり返る。まさに安寧の響き。真にオットー・クレンペラーの真骨頂。
ところで、1868年4月10日の、ブレーメン大聖堂での作曲者自身による指揮での「ドイツ・レクイエム」初演を聴いたクララの日記が素敵だ。
手に指揮棒をもって立っているヨハネスを見たとき、私は愛するローベルトの次の予言のことを考えないわけにはいきませんでした。「彼が、合唱やオーケストラにおける結集した勢力が彼にその力を与えるように、自身の魔法の杖を振り下ろすとき、精神世界の奥義をのぞかせる、驚くべき光景が私たちの前に広がっているのだ」そしてその予言は、今日、はたされました。
~西原稔著「作曲家◎人と作品シリーズ ブラームス」(音楽之友社)P103
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ご紹介のクレンペラー「ドイツ・レクイエム」も大変な名盤ですよね。
それにしても、昔からブラームスのクララにまつわるお話、よくもまあ飽きずに、お好きですねぇ(笑)。
そのクララが弾いたブラームスが録音で残っていますよね!! 昔聴きましたが、驚きの名演奏でした。さすがにブラームスへの愛に満ち溢れていると感じます。
ブラームス:ピアノ五重奏曲 クララ(ピアノ)他
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9-%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E4%BA%94%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2-%E3%83%8F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9/dp/B000C1Z016/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1482263588&sr=1-1&keywords=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9
>雅之様
そう、真相がわからない2人の関係について想像するのは実に楽しいのです。(笑)
ハスキルの「ピアノ五重奏曲」は未聴です。
驚きの名演奏ですか!興味深いです。