全45曲の安寧。
ヨハン・セバスティアン・バッハはクラシック音楽の完成者であり、その後のルーツである。バッハなくしてビートルズなく、ビートルズなくして現代のポピュラー音楽の隆盛はなかったのでは?
オルガン小曲集。ここにおいて初歩のオルガニストに、ありとあらゆる仕方でコラールを展開する手引きが、また、ここに収められたコラールでは足鍵盤がまったくオブリガート的に処理されているのであるから、足鍵盤の学習に熟達するための手引きも与えられる。いと高き神にのみ栄光あらんがために、隣人にはこれによって学ぶことあらんがために、目下アンハルト=ケーテン領主殿下の楽長たるヨハン・セバスティアン・バッハこれを著す。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ」(音楽之友社)P205
バッハは間違いなく神の手引き者であった。音楽も、ましてや楽器もその手段に過ぎなかった。崇高なるその作品の最奥に在る「魂」を感じたまえ。
心が洗われ、澄む。
おそらく業(カルマ)というものを洗い流す方法として、つまり修行のひとつとして演奏というものがあったのだろう。まさに神に仕える聖業。ひれ伏さざるを得ない。
J.S.バッハ:オルゲル・ビュヒラインBWV599-644
ヘルムート・ヴァルヒャ(オルガン)(1950&1952録音)
ヴァルヒャの旧録音。
これほど軸のぶれない、そしていぶし銀の如くの演奏があろうか。
それこそ神を讃える最美。ひとつひとつの楽曲に込められた大宇宙の証。なるほど、これらを奏することでオルガニストは救われたのだ。その意味では、聴かせる音楽ではなく、演奏者自身の精進のために創造された「手引き」の曲集なのだということがわかった。
「ソラリス」撮影の頃のアンドレイ・タルコフスキーの日記をひもとく。
日本は実に驚くべき国だ。ヨーロッパともアメリカとも、何ひとつ共通するところがない。偉大な国だ―だれもチップを受け取ろうとしない。失業者もいない。
東京はすばらしい都市だ。工場の煙突一本ない。一つとして同じ建物がない。
建築では、疑いもなく日本は最先端だ。
人々は礼儀正しく教養がある。東京は横浜と合わせると二千二百万人住んでいる。だがモスクワにいるような虚ろな群衆は、そこにはいない。
(1971年10月23日土曜日)
~アンドレイ・タルコフスキー著/鴻英良・佐々洋子訳「タルコフスキー日記―殉教録」(キネマ旬報社)P94-96
45年前の日本は、外国人の目から見るとそんな印象だったらしい。小学2年生だった僕は、もちろんその頃の東京のことは知るはずもない。それでも、誰もが一生懸命で、本当に純粋だったのかもしれない。擦れた魂を今こそ磨き直さねば。
タルコフスキーが「ソラリス」のテーマ音楽に使用した第40曲「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」が流れる中、思わず涙がこぼれた。この2分と少しの中には真実がある。ヴァルヒャの祈りの心情が見事に映える。
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「神は妄想である―宗教との決別」リチャード・ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳) 早川書房
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神がいようがいまいが、今を大切に生きていれば、そんなことどっちでもよいという気もします。
>雅之様
「神」というのは思考の産物ですからね。
おっしゃること、わかります。
ただし、今を大切に生きる上で大いなるものへの「信仰心」は失ってはいけないように僕は思います。