都会生活の不自然さは、尖端的な末梢神経の異常な膨らみに起因している。そのために外観は活潑なのだが、実はどうしようもない衰弱におちいってはいまいか。生活の様式が、自然な均衡を失うことはおそろしい。私たちは、生きるかぎりにおいて自然への調和ということを志しているものなのだろう。芸術はそこにはじまり、かならずそこへ還るものにちがいない。
~「武満徹著作集1」(新潮社)P36
残念ながら、現代人の多くはおそらくその志を忘れているのだろうと思う。
僕が芸術全般に心酔する理由は、武満の「芸術はそこにはじまり、かならずそこへ還る」という言葉そのものにある。僕たちがたった今目指さなければならないのは「自然への調和を志すこと」なのだと思うから。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
言葉にするまでもなく、まさに「自然との調和」の体現者。
ハイドンさんは私にこう言われたのだ。「誠実な人間として、神の前に誓って申し上げますが、ご子息は、私が名実ともに知るかぎりの最高の作曲家です。様式感に加えて、この上なく広い作曲上の知識をお持ちです」
(1785年2月16日付、レオポルトからナンネル宛)
~高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P345
大家からの手放しの絶賛。この頃創作されたニ短調の協奏曲についても同じ手紙の中でレオポルトは次のように報告する。
ヴォルフガングのすばらしい新作のクラヴィーア協奏曲がありましたが、私たちが着いたときには、写譜屋はまだ書き写しているところで、おまえの弟はロンドーをまだ一度も通し弾きしてみる時間がなかったのです。
~同上書P346
歴史的傑作の誕生である。
モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
・ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1974.9録音)
グルダの、不思議な明るさのある、デモーニッシュな側面を抑えた名演奏。後の、ジャズ一辺倒になったグルダの、全盛期のいわば「自然への調和」の試み。第1楽章アレグロの、ベートーヴェン作のカデンツァが美しい。モーツァルトが通し弾きしてみる時間のなかったロンドーの愉悦と爽快。第1カデンツァはフンメル作、第2カデンツァはベートーヴェン作だが、何という開放!それこそ圧倒的生命力に溢れ、覇気が漲る。マルタ・アルゲリッチを魅了したグルダの天才。
フリードリヒ・グルダの演奏を聴いたとき、マルタ・アルゲリッチは強く爽快な風が自分のなかを吹き抜けていくのを感じた。なるほど、このように若く不遜でありながら、同時に、自由で開放された精神を保ってクラシック音楽を生きることが可能なのか!この新しい美学に心を揺り動かされたのは、マルタだけではなかった。それはヴィルトゥオーソと知性の理想的な結合であり、グルダの演奏を聴いてしまうと、他のものが感傷的で古くさく、わざとらしく感じられる。まずリズムありきで、気迫に満ち、根源的で、夾雑物がない。楽譜を徹底的に尊重し、執念深く正確さにこだわるが、生命力にあふれ覇気が漲る弾き方はジャズに近い。油絵と水彩画の世界に、フリードリヒ・グルダは圧倒的なコントラストと大胆な構図という、写真による生の臨場感をいきなり持ちこんだのだ。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P52
ジャズに近いのではなく、ジャズそのもの。すなわち楽譜に忠実でありながら、たった今、グルダはモーツァルトの世界を再現しているのである。これこそ自然!!
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>僕たちがたった今目指さなければならないのは「自然への調和を志すこと」なのだと思うから。
昨日読了した本。
「生物界をつくった微生物 」
ニコラス・P. マネー (著), Nicholas P. Money (原著), 小川 真 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E7%94%9F%E7%89%A9%E7%95%8C%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%BE%AE%E7%94%9F%E7%89%A9-%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC-%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BBP/dp/4806715034/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1456170793&sr=1-1&keywords=%E7%94%9F%E7%89%A9%E7%95%8C%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%BE%AE%E7%94%9F%E7%89%A9
・・・・・・・この本の目次に目を通すと、少し奇異な感じがするのは、私だけではないだろう。エデンの園、レビ記、ダンテの神曲、新エルサレムと並び、ミルトンの『失楽園』とくれば、どうしても聖書、特に旧約聖書が浮かんでくる。うがちすぎかもしれないが、どうやら著者の頭の中には、創造主の姿がちらついているらしい。
生物の世界を虚心坦懐、そのまま見つめていると、じつに不思議なことが多い。DNAはまるで神の手による設計図のようで、地球の歴史も生物の進化も必然の結果のように見える。人類はもとより、すべての生物が定められた宿命に呪縛され、そこから逃れえないと思うのは、著者だけではないはずだ。・・・・・・訳者あとがき(P232)より
上記引用書 出版社: 築地書館
>雅之様
ご紹介の本は未読なのでコメントは控えますが、訳者あとがきにある
>どうやら著者の頭の中には、創造主の姿がちらついているらしい。
>DNAはまるで神の手による設計図のようで
というところで、村上和雄先生の研究を思い出しました。
共感多々ありそうな書籍のご紹介をありがとうございます。
[…] ン音楽祭。アルゲリッチの、アバドと共演した最後の記録。 K.466の不思議な明朗さは、師グルダの名盤とはまた違った意味で奥深い。 第2楽章ロマンス冒頭の透明なピアノの響きに度肝を […]