世界に73億人という人間が存在し、誰一人としてまったく同じ人間がいないというその事実を今一度思い出そう。良し悪しでなく、誰もが等しく個性的(ユニーク)だということを。
エリック・サティはかく語る。
個人的には、私は良くも悪くもない人物である。私はそのどちらにも揺れ動いている、と言うこともできる。したがって私は、これまで誰か他人に対して、悪いことはまったくしていないし、そのうえ、良いこともしてはいない。
(「自由手帖」誌・1924)
~エリック・サティ/秋山邦晴・岩佐鉄男編訳「卵のように軽やかに」(ちくま学芸文庫)P100-101
これこそぶつかりのない悟りの境地。サティの生み出した数多の音楽はその体現であろうか。続いて彼は言う。
しかしながら、私には多くの敵がいる。当然のことながら、忠実なる敵である。それはなぜか。このことは、主に彼らが私を知らないか、あるいは彼らがまた聞きや、要するに(嘘の)うわさによって私を知っているためである。
人間は完全ではありえない。私は彼らをけっして恨んでなどいない。彼らは、自覚のなさと、炯眼のなさの最初の犠牲者なのである。・・・あわれな人びとよ!・・・私はこのように彼らに同情的である。
(「自由手帖」誌・1924)
~同上書P100-101
お前らに私の何がわかるのだと彼は突き放す。
確かに。世の中の風潮などというのはおおよそが幻想。理解などしてもらわなくて良いのである。サティの音楽はただそこにあり、ただ流れゆく。
サティ:
・ジムノペディ第1番
・ジムノペディ第2番
・ジムノペディ第3番
・おまえが欲しい
・4つのしまりのない前奏曲(犬のための)
・あやなす前奏曲
・4番目の夜想曲(ノクチュルヌ)
・古い金貨と古い鎧
・ひからびた胎児
・グノシエンヌ第1番
・グノシエンヌ第2番
・グノシエンヌ第3番
・グノシエンヌ第4番
・グノシエンヌ第5番
・グノシエンヌ第6番
・官僚的なソナチネ
・ピカデリー
パスカル・ロジェ(ピアノ)(1983.5録音)
アンニュイ・・・、幻想的・・・、それでいて音像は明瞭に。
パスカル・ロジェの演奏にはサティの魂が乗り移るかのような「揺れ動き」がある。
その昔、「ひからびた胎児」から第2曲「甲殻類の胎児」を聴いたとき驚いた。ショパンの「葬送行進曲」のパロディたる音楽は、それこそ彼の言う「忠実なる敵」ではあるまいか。あるいは「グノシエンヌ」での心をかきむしるかのような悲しみに溢れる表情。何という暗さ。
もちろん彼の弾く「3つのジムノペディ」は優しく柔らかく、不朽の名演奏。
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>これこそぶつかりのない悟りの境地。
逆こそ真なり。そのことに気付けない人が多過ぎるとは言えないでしょうか。特に、自分は何も悪いことをしていないという自覚の無さは最も問題なのでは。
「個人的には、私は良くも悪くもない人物である。私はそのどちらにも揺れ動いている、と言うこともできる。したがって私は、これまで誰か他人に対して、悪いことばかりしたし、そのうえ、良いことも数多くした」
>雅之様
まさにおっしゃるとおりです。
人間は皆根っから罪深い生き物ですから、そのことに気づかないとですね。
ありがとうございます。