アルメイダ指揮モスクワ響のマリピエロ交響曲第7番ほか(1993録音)を聴いて思ふ

malipiero_7_almeida480いかにリアリティを追求するか。
生と死をあくまで現実的に捉え、そして人間の生き様をともかく絢爛豪華に表現した。それでいてそこには退廃があり、また孤独の哀しみがあった。
ルキノ・ヴィスコンティは語る。

私は演劇はなによりもまずスペクタクル、つまり目に見える事実の表現でなければならないとつねに考えてきた。上演は台本と、台本に与えられる解釈との関連でのみ考えられるべきだ。アーサー・ミラーの「あるセールスマンの死」をやるのだったら、いかめしい装置がいらないのは明らかだ。しかし、17世紀の、たとえばジョン・フォードのドラマをやるのだったら、無情なまでにスペクタクルなエリザベス朝的なところをなんとしても考慮しなければならない。シェイクスピアの「お気に召すまま」を紹介したとき、これはとくに目で楽しむべき芝居にちがいないとわかっていた。
ブックシネマテーク4「ヴィスコンティ集成」(フィルムアート社)P36

「目に見える事実」という言葉が重い。
いかにもイタリア人的な鷹揚で開放的な発想だと僕は思う。
ちなみに、ヴィスコンティが逝ったのは1976年3月17日だから、昨日でちょうど40年が経過したことになる。早いものだ。

イタリア古楽を愛し、モンテヴェルディやヴィヴァルディの校訂を行ったジャン・フランチェスコ・マリピエロ。この人の音楽も実に開放的で、かつ明快、そしてその根底にはヴィスコンティと同じく「孤独の哀しみ」が流れる。しかしながら、そこには、貴族に生まれたヴィスコンティとは違い、退廃はない。どちらかというと幼少からの困窮続きによるリアリティが支配する。簡潔な書法の中にある極めて美しい旋律と、苦悩の音調。

マリピエロ:
・交響曲第7番「カンツォーネ風」(1948)
・1つのテンポによる交響曲(1950)
・シンフォニア・ペル・アンティジェニーダ(1962)
アントニオ・デ・アルメイダ指揮モスクワ交響楽団(1993.5&6録音)

交響曲第7番は、戦後すぐの作曲とは思えないほど浪漫満ちる。そして、その名の通り歌に溢れる。
また、30分近くの単一楽章交響曲である「1つのテンポによる交響曲」には、どこかブルックナー的なものが木魂する。創作初期よりいわゆる形式に縛られることを嫌ったマリピエロにしては「?」だが、それでもブルックナーの音楽の持つ革新性と相似の「新しい音楽」がここにはある。
さらに、世界的に前衛が跋扈した時代の「シンフォニア・ペル・アンティジェニーダ」の聴く者にどこか「不安感」を想起される音調。調性的に安定せず、とはいえ決して前衛(無調)でない不思議な浮遊感を持つ音楽に痺れる。
次代を追うごとにマリピエロの作風は複雑になるようだが、それでも「美しさ」を失わないところが素晴らしい。

ジャン・フランチェスコ・マリピエロ生誕の日に。

 

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4 COMMENTS

雅之

囲碁や将棋のトッププロがコンピュータに完敗する時代が到来しました。将棋も囲碁も人類が創作する最高な芸術のひとつだと信じていましたからショックです。特に先日の囲碁には・・・。

マリピエロの曲は確かに美しいですが、このレベルくらいの曲は人工頭脳が作曲してしまう時代が、悲しいかな、もうすぐ近そうです。

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/fukui/20151201_732993.html

https://www.youtube.com/watch?v=jXsxF98WitE

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>人工頭脳が作曲してしまう時代が、悲しいかな、もうすぐ近そうです。

そんな風になってしまうんですかね?哀しいですね。
独創性という意味ではデジタルがアナログには敵わないと思いたいです。

返信する
雅之

>独創性という意味ではデジタルがアナログには敵わないと思いたいです。

残念ながら、独創性についても、人間の優位がどこまで保てるかについては懐疑的です。事実、将棋や囲碁などでは、プロ棋士が何時間考えても思いもよらぬ妙手の連続で、AIがトッププロ棋士に勝つことなど、もはや普通にある時代になっていまいました。

しかしここは、人間と機械との新たな共存と緊張関係が、行き詰まりを見せて来た音楽の未来を開く新たな切り札になる可能性が出現したんだと、前向きに考えたいです。

たとえば、人工知能がたった今作曲したテーマを、人間が自由に即興で展開していくジャズ演奏のライブとかは、エキサイティングで面白そうです。

また、前衛音楽の作曲については、最初からAIの得意分野になりそうです。

さらに、マーラーの第10交響曲や、ブルックナーの第9交響曲の補筆完成版作成も、その作曲家風に人工知能で粗補筆させ、部分的に違和感のある部分を人間が手修整していけば、現状よりも優れた新版が作れそうです。よくご存じのように、実際にモーツァルト作品では、もう随分昔にコンピュータを使用して優れた成果が上がっていますしね。

Wikipedia「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲  ロバート・レヴィンとダニエル・リースンによる新説と復元稿」より

・・・・・・1974年にアメリカのピアニストで音楽学者のロバート・レヴィンと音楽学者のダニエル・リースンが「統計的・構造的・方法学」という方法で、コンピューターによってオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲を解析したところ、この作品がモーツァルトの真筆であるという結論を出した。しかし、管弦楽法にモーツァルトらしからぬ点が多く、ソロ・パートのみが後世に伝わり第三者がオーケストラ・パートを加筆したと鑑定。統計的・構造的・方法学によって本来あるべきオーケストラ・パートを復元、ソロ・パートもフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットに復元した稿を作成した。手法の是非はともかくこの復元稿を用いた録音や演奏会も増えつつある。・・・・・・

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88-%E5%8D%94%E5%A5%8F%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2-%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA/dp/B00005FFUS/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1458425565&sr=1-1&keywords=%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%80%E5%8D%94%E5%A5%8F%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%BC

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岡本 浩和

>雅之様

>人工知能がたった今作曲したテーマを、人間が自由に即興で展開していくジャズ演奏のライブ
>補筆完成版作成も、その作曲家風に人工知能で粗補筆させ、部分的に違和感のある部分を人間が手修整

どちらも名案ですねぇ!!
そうなってくると俄然音楽愛好家としても楽しみが増えてまいります。
実際そんなことになったら最高です。
あながちない話でもなさそうですしね。

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