イザベル・ファウストの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ほか(2009.9録音)を聴いて思ふ

bach_solo_violin_faust_2009515光輝満ちる。
また、そこに奏者の存在は感じられない。
いわば、ただ音楽が在るのみ。それを「絶対」というならそうなのかも・・・。
他との協調なしにたったひとつの楽器が織り成す宇宙は、峻厳であり孤高だ。
たったひとり舞台に立った彼女には後光が差していた。
そして、一挺のヴァイオリンが奏でるバッハの音楽は実に透明で輝いていた。
あの日あの場所で聴いたバッハのことは僕は生涯忘れないだろう。

そしてまた、あの日の演奏を髣髴とさせる一世一代のパフォーマンスがここにあった。
あらためてイザベル・ファウストのヴァイオリンの素晴らしさに脱帽する。
かつて彼女は、バッハの無伴奏作品を指して次のように語ったことがある。

もっとも理想的な状態に達すれば、ある意味で瞑想に近い状態を共有し、発見やひらめきが得られることもあるかもしれません。

間違いない。それこそ時空を超越し、僕たちは魂で音を感じ、ひとつになる。
バッハの音楽はなぜ僕たちを幸福な気持ちにさせるのか?そこにはあらゆる感情が刻み込まれているからだ。
礒山雅さんの言葉が正鵠を射る。

バッハは、そんなわれわれに、いわば魂の福音を与えてくれる人である。人間の小ささ、人生の空しさをバッハはわれわれ以上によく知っているが、だからといってバッハは人間に絶望するのではなく、現実を超えてより良いものをめざそうとする人間の可能性への信頼を、音楽に盛りこんだ。その意味でバッハの音楽は、切実であると同時に、きわめて楽天的でもある。
礒山雅著「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」(東京書籍)

まさに「ゼロ」という名の調和を体現する奇蹟であり、世界をひとつにつなぐ媒体。

J.S.バッハ:
・無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004
・無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005
・無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)(2009.9録音)

パルティータ第2番は、冒頭から実に丁寧に音が紡がれる。
また、ひとつひとつの音符に尋常ならない思いが込められ歌われる様に感動。
さらには、ファウストのストラディヴァリウスが、まるで遠い古から時間を旅して現れたかのように響き渡る。生きもののようなこの音楽は、どこから来てどこに去ってゆくのか?

天上から降り注ぐパルティータ第3番第1曲前奏曲に神を見る。これほど凛として高貴な音楽が他にあろうか・・・。イザベル・ファウストの天才を思う。
あるいは、第3曲ガヴォットとロンドーにおける弾ける愉悦。心が躍る。
また、可憐な第4曲&第5曲メヌエットを経て、短い第6曲ブーレと第7曲ジーグの崇高さ。筆舌に尽くし難い素晴らしさ。

ところで、弓を引く直前静止態勢のイザベルは何の的を見つめるのか?
この意味深いジャケット写真が彼女のバッハのすべてを物語る。
プリンスが亡くなった。遠いようで近い、近いようで遠いバッハで追悼だ。

 

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