ポリリズムの極致。
聖なるガムランが僕たちの魂に語りかける。音楽は祈りである。
虚ろな耳でバリの民俗音楽を聴くにつけ、武満徹さんがガムランに初めて出会ったときの回想を思う。
ケチャックを聴いた夜は雷雨が激しく、樹皮で編まれた屋根を打つ音は、歌う声を消すほどに強かった。雨のなかを、それぞれのバティックに下半身をかくした半裸の男たちが、夜の黒い穴からひとりひとり、椰子油の点された集会場の明りの下に集まって来た。土の上に円形に座して、何程のものものしさもなくいつかそれは歌いだされたのだった。私は、ケチャックの内容について知ることは少いが、バリ島にだけ在る独特のもので、チャック・チャックという猿の擬声を叫び歌うことにその名は由来している。すべては人間の声だけによって歌われ、音頭とも称ぶべき数人によって神話的な説話が微妙な抑揚で誦われる。他の数十人もの群衆は、ある身振りを交えながら猿のように叫び、時に一斉に一つの音階を唱和するのだった。
~「武満徹著作集1」(新潮社)P241-242
情景が克明に描写されたこの文章には言葉では言い表しがたい衝撃までもが記録されるよう。かつてクロード・ドビュッシーが受けたそれとイコールなのかどうかはわからないが。
ケチャック「リング・タマン・アソカ」が素晴らしい。
中村とうようさんによると、「ケチャ」は「声によるガムラン」であり、男性コーラスを主体にし、それに舞踊の要素と全員の身体パフォーマンスが加わって表現されるミュージカル様のものらしい。そしてそれはまた、古来日本にもあるように、天地の怒りを鎮めるための祈りの意味合いを持つ共同体芸能であるということだ。
最初のほうに紹介したように、これは火山の爆発や病気の蔓延などの災害から身を守るために行われていた、サンヒャンと呼ばれる呪術的な民間芸能がもとになって1930年代に作り出されたらしい。小泉文夫さんによれば、初めは2つのリズムに合わせてカエルの鳴き声の真似で、掛け合いのようなことをやっていたのだが、だんだん複雑化し、1960年代にはラーマーヤナの物語を導入して、4つのリズム・パターンによるチャッ、チャッという掛け合いへと発展し、ケチャとして知られる芸能になった、という。
~XSCL-10007ライナーノーツ
この、あくまで謙虚に大自然と向き合う人間の智慧こそ東洋文明の生み出した花だろう。
ツトム・ヤマシタ・プロデュース
バリ・ガムラン・ミュージック~スロー・ライフへの誘い(2002.5.21-23録音)
冒頭、「プンガラン」の地から湧き出るような静謐な夜の音楽に目(耳?)を瞠る。
続く短いケチャ「プンガウィ」の、正確なリズムの上を這う複雑な人声の交錯に卒倒。そして、「クジョジョル」に響く数多の打楽器の得も言われぬ恍惚の響きに感動。
ガムランとは何と素晴らしいパフォーマンスなのだろう。
また、武満徹さんは次のようにも語る。
これまで書きつづけてきたように、私はインドネシアの音楽そのもの、そしてその文化を創造している情熱の根底をなす強い宗教的感情というものに動かされたのであるが、そこで考え感じたことはかならずしも芸術的な事柄に限らない。ただ意識的に音楽外の事柄には触れまいと思っていた。しかし、ジャワ島やバリ島に営まれている美しい草の音楽の蔭に、往き場を失った変種の西欧文明が歪んだ貌を曝しているのを見ると、歴史というものの醜悪な素顔に接したようでやりきれなかった。
~「武満徹著作集1」(新潮社)P259
本来は西も東もなくひとつであることを今こそ知るべきだ。
ガムランやケチャの真底に感じられる深呼吸にこそ求める答があるのでは?
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