ベートーヴェンのピアノ演奏を初めて聴いたときの師ヨハン・バプティスト・シェンクの言葉が残されている。
彼はそのヴィルトゥオーゾ的性格をすばらしく表出したあとで、甘美な音楽を悲しく、憂愁にみちたひびきとなし、さらに愛情にみちた感動に変え、ついに喜ばしく殆んど諧謔的なたわむれに変ぜしめた。これらの音形はそれぞれ特定の性格を持ち、きわ立った情熱的な感情を含み、その中に自己自身の感得したものが純粋に現れていた。
~渡辺護「ベートーヴェンのピアノ奏鳴曲の意義」SL-1157-66
ベートーヴェンはあくまでモーツァルトやハイドンの生み出した形を踏襲しつつ、自らの絶対的境地を作り上げたが、何よりそのことは作品の内面から滲み出る音の光輝に詳しい。自然に移り変わる楽想に表出する様々な感情と、シェンクが言うようにそれらを最終的には笑い飛ばす余裕と楽天性。「苦悩」などというのは本来の超えるためにあるもので、そもそもそれは幻想なんだと言わんばかり。それは、青年期の作品にこそ一層強く見られる。
ジャン=ベルナール・ポミエの弾く作品2を聴いて思った。耳の疾患に苦しむ前の作品はどれも陽気で明るい。屈託のない明るさ。しかし決して軽いものではない。
晩年のベートーヴェンはインド哲学にはまっていたという。
いや、実は青年期からその志向はあったのではないか?
インドに行くと確かに今までの自分の生き方、考え方、環境、とにかく全てが間違っていたと感じ始める。そしてこのような発見が混乱を呼び、しばらくなにも手につかない状態が続く。つまり自分自身の根源に無理矢理立ち向かわせられるのである。スタートに向かってUターンを強いられるのである。
「人間は本来の姿に帰らなければならない」といくら口でいっても、「本来」そのものの実体がつかめなければなんにもならない。ぼくが教えを乞うたある禅僧は、人間は生まれながらに「悟っており、そして五官(眼・耳・鼻・舌・身)も五蓋(貪り・怒り・無知蒙昧・躁鬱・疑い)も最初からない」、つまり人間的な見解であれこれ物事を分別するから、ここに持たなくてもいい苦悩が生れるのだといわれる。
「生まれながらに悟っている」ということは、生まれながらにこの世界と一つだということだろう。
~横尾忠則著「インドへ」(文春文庫)P159-160
いつ誰がそう呼び始めたのか知らないが、「楽聖」と呼ばれるベートーヴェンのこと、(当然インドを訪れたことはなかったが)禅僧の言葉そのものについてはわかっていたと僕には思えてならない。
ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品2-1(1991.4録音)
・ピアノ・ソナタ第2番イ長調作品2-2(1991.6録音)
・ピアノ・ソナタ第3番ハ長調作品2-3(1991.4録音)
ジャン=ベルナール・ポミエ(ピアノ)
ことに各々の緩徐楽章にある可憐さ、また魅惑的陶酔!
例えば、イ長調ソナタ第2楽章ラルゴ・アパッショナートの美しい囁き。
あるいは、ハ長調ソナタ第2楽章アダージョに内蔵される(晩年のものにも勝るとも劣らぬ)深い悲しみと、突然の爆発(解放)の妙。ポミエは音の一粒一粒を丁寧に鳴らし、思いを込めて歌う。主観と客観の見事なバランス。
とはいえ、やはりベートーヴェンこそが古典派音楽の最良の美質の継承者であり、その完成者であることは、改めていうまでもない事実だ。主観と客観、意志と形式、横溢する生と自己規律の間の均衡―この古典派音楽の理念の完成を成し遂げたのが、ベートーヴェンなのである。
~岡田暁生著「西洋音楽史―『クラシック』の黄昏」(中公新書)P128
間違いない。
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ポミエのベートーヴェン全集は、かつて相当評判を取りましたよね。フランス人ということ以外、このピアニストのことをほとんど知ろうとしないで、私も長く愛聴していました。
>晩年のベートーヴェンはインド哲学にはまっていたという。
インドは歴史的にも、私たちがイメージするより、当時ヨーロッパの人々にとって近しい存在だったのでしょうね。
このゴールデンウィークは、小津 安二郎やタルコフスキー作品のBlu-ray Discでの鑑賞とともに、ちょうどご紹介の盤が録音されたころに制作された「電子立国日本の自叙伝」
http://www.amazon.co.jp/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB-%E9%9B%BB%E5%AD%90%E7%AB%8B%E5%9B%BD-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%8F%99%E4%BC%9D-DVD–%E5%85%A86%E6%9E%9A%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88/dp/B001OGTX6G/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1462402288&sr=1-1&keywords=%E9%9B%BB%E5%AD%90%E7%AB%8B%E5%9B%BD%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%8F%99%E4%BC%9D
を全編久しぶりに再視聴し、ある種の感慨にふけっています。
CDが無かりせば、我々の音楽ライフは全然違うものになっていたことでしょう。
ベートーヴェンなどの天才音楽家だけでなく、見ず知らずの、ピアニストやトランジスタやICを発明した人たちやデジタル録音を開発した人々やその他無数の他人に、知らず知らずのうちに私の人生は支えられ翻弄され続けていることを思い知らされています。バタフライ効果の無限連鎖とでもいいますか・・・。
結局我々の人生は、「生まれながらにこの世界と一つだということ」でしょうね。
>雅之様
>知らず知らずのうちに私の人生は支えられ翻弄され続けていることを思い知らされています。バタフライ効果の無限連鎖とでもいいますか・・・。
何かを得れば、何かを失う・・・。
歴史の進化と、それに伴う退化の両方を見つめると発見がいろいろとありますよね。
過去を振り返る意義はそういうところにあるのだと思います。
小津&タルコフスキー三昧ですか!羨ましい限りです。
ご紹介のNHKの番組は初めて知りましたが、面白そうですね!
ありがとうございます。