忘れじのムターのブラームス

brahms_mutter_karajan.jpgたった独りで全てをこなせる人は決して多くない。夫婦にせよ共同経営者にせよお互いが自分を主張し過ぎず、相手の短所をカバーし合い、長所を受容しあうことで物事はきっとうまくいく。まさに「二人で一人」という状態が最も理想的。要はバランスなのである。

アンネ=ゾフィー・ムターの音楽から随分遠ざかっている。遠ざかっているというのは、日常で全く耳にしていなかったということではない。毎年のように発売されるディスクをまめに蒐集していないし、来日公演もいつ以来なのか覚えていないほど聴いていないということである。CDを購入するという行為はともかくとして、ハイドシェックやツィマーマン、あるいはポゴレリッチならば(ヴァイオリニストならチョン・キョン=ファ!)来日するとなると必ず足を運ぶのだが、ムターに関しては「今回はまぁいいか」といつも思ってしまう。何度か聴いた実演にあまり感動できなかったということが大きな理由なのかもしれない(ただし、前にも書いたように2回目の来日時、大阪フェスティバルホールでのモーツァルトとブラームスの協奏曲にはいたく感動したし、ヴァイオリンという楽器の面白さ、音色の美しさを教えてくれたのがムターだったと言っても決して言い過ぎではない)。

歳を重ねるにつれ彼女の音楽はますます円熟度を増し、独自の精神世界を繰り広げるようになってきているようなニュアンスを批評家の文章からは感じる。だからこそ、生を聴けば一層の感動が与えられるはずだと思うのだが、コンサートから足が遠のくのはどういうことなのだろう・・・。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

このブラームスの協奏曲は、1981年、つまりムターがまだティーンエイジャーであった時に帝王カラヤンのサポートを得て録音した、いまだに色褪せない屈指の名盤である(10年ほど前にクルト・マズアと録れた再録盤は、ムターのヴァイオリンが主張しすぎてとんがっており僕はあまり好きではない)。ムターは13歳の時ルツェルン音楽祭にてカラヤン&ベルリン・フィルをバックにデビュー。カラヤンが89年に亡くなるまで秘蔵っ子として数々の共演をし、多くの名盤を残したが、カラヤンの死により師匠の手を離れたムターは、いわば自立を強いられ、芸術的精神的に独り立ちしていかなければならないという分岐点に立たされた。考えてみると、20代前半まで(つまりカラヤンから独立するまで)のムターの音楽がどうやら僕の好みのようで、彼女は、実は強力なサポーター、あるいはプロデューサーがいて初めて長所が生きるタイプの音楽家なのではないかと最近思うのである。
それは、例えばThe Beatlesがよき理解者でありグループのまとめ役であったマネージャーのBrian Epsteinを失った後、Paul McCartneyが自己主張をし過ぎ、グループが機能しなくなり解散を余儀なくされた事実と非常によく似ている(これはあくまで僕の勝手な個人的見解である。-少なくともここ何年も彼女の生演奏を聴いていない以上、そうではないのかもしれないし)。
ムターがアンドレ・プレヴィンと離婚したというニュースを聞いたとき、もはやムターは自分を管理してくるような「才能のある」強い男を受け容れられなくなってしまっているのだろうと思った。否、ひょっとすると若い頃からそうだったのかもしれない。少なくとも彼女を音楽的にマネージメントできる「強い」男性が出てこない限り、かつてのような泣く子も黙る超名演奏は期待できないかもしれない。

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